カモ歴史日記

史跡巡りや戦国考察など

2019-01-01から1年間の記事一覧

小田原城

久しぶりの史跡巡り。今回は小田原城に行ってきた! 駅に早雲像があることからも、地元に愛されてるのがわかる。(駅の示す小田原城行きの出口とは逆方向にあるのが何とも言えないけど…) 今回はちゃんと正規の登城ルートから行きました。最初に馬引門に入って…

杵築同行者と尼子三兄弟御供との比較

以前書いた二つの記事「杵築同行者 陰徳太平記と雲陽軍実記の違い」と「義久三兄弟の御供衆について」を見比べていて気付いたことがあったので、それについてまとめてみようと思う。 camonambam.hatenablog.com camonambam.hatenablog.com まず、陰徳太平記…

義久三兄弟の御供衆について

1566年に月山富田城に篭っていた尼子側が毛利に降伏し、義久・倫久・秀久の三人が安芸長田まで連れていかれることになると、杵築までは多くの家臣が随行していったが、それ以降は限られた人数だけしかついていくことを許されなかった。 その面々を以下にまと…

福山肥後守 まとめ

現時点での福山肥後守の情報まとめ。何かわかり次第、随時更新します。 福山肥後守綱信 生年不詳。1565年没。 息子に福山源五郎がいる。 元々は吉田筑後守に仕えていたが、筑後守が播磨で討ち死にした後に晴久から領地をもらった。天文年間中に尼子十砦の一…

吉田八郎左衛門 まとめ

現時点での吉田八郎左衛門の情報まとめ。何かわかり次第、随時更新します。 吉田八郎左衛門義金 直景、久隆とも。兄弟に吉田筑後守、左京亮、三郎左衛門がいる。嫡男は四郎次郎。 生年不詳。没年は1570年もしくは1571年。 第二次月山富田城戦においては、弟…

吉田家・福山家 情報まとめ

吉田家 六郎左衛門清秀 四郎貞秀 筑後守ー伯耆の守護。1476年頃、中井対馬守に宇賀荘を売却した(清水寺文書)。播磨で討ち死に。 左京亮ー筑後守の弟であるが、祟り(感染症か?)によって子息が亡くなった筑後守の養子となる。松山において三村家親に討た…

杵築同行者 陰徳太平記と雲陽軍実記の違い

尼子義久たち三兄弟が1566年に毛利に降伏した後、杵築に連行されることとなったが、これに同行した家臣の情報が「陰徳太平記」と「雲陽軍実記」で異なっている。その違いは、そもそもの書かれた人数から家臣の顔触れまで及び、「雲陽軍実記」には書かれてい…

中井久家 まとめ

現時点での中井久家の情報まとめ。何か情報がわかり次第、随時更新します。 中井久家(1523~1605年) 陰徳太平記では久途(ひさみち)との表記もあり。通称は平三兵衛(軍記物語では平蔵兵衛、平蔵表記もあり)。 伝承では1523年生まれとされる。中井綱家の嫡男…

近況報告

twitter、ブログともに更新停滞気味ですが、私は元気です! 実は今私は留学で海外にいっています。日本にいません。今までちょっとゴタゴタしてて、あまり落ち着く暇がなかったのです。まぁ中井綱家の情報をまとめるぐらいには余裕あったけどね。 そもそも私…

滋賀尼子巡り 感想ver.

さて、感情を極力抑えた真面目な滋賀尼子巡りの記事は書いたから、感情爆発verも書くか。 ここからは振り切れたテンションでお送りするので、真面目なのをご希望なら読まない方がいいです。 ちなみに真面目なやつ↓ https://camonambam.hatenablog.com/entry/…

尼子館と勝楽寺と藤堂高虎関連

昨日(8月12日)に滋賀県の尼子駅周辺を探索してきた。1番の目的は尼子館だったけど、最終的には藤堂高虎関連の史跡と佐々木道誉に所縁のある勝楽寺にも行ってきた。 尼子館は尼子駅から歩いて15分から20分ぐらいのところにある。今は土塁公園という名前になっ…

竹生島奉加帳 富田衆まとめ

自分用に竹生島奉加帳の富田衆の情報をまとめておく。 米原正義先生による富田衆の定義は「富田城詰めの諸将」であり、「直臣で奉行」。 岡崎英雄氏の富田衆の定義は「尼子直轄地から扶持を受ける直臣」、出雲衆は「郡代官より米の廻送を要する家臣」。 今岡…

歴史好きの多様さ

歴史好きって一言で言っても、色々いるなーと、常々、特にTwitterやってから感じる…。 アカウント作ったのがそもそも2月とかなので、まだ半年ぐらいだし、関わってる人も少ないけど、個性というか色々なタイプの歴史好きがいるなってのは思った。 私は史跡巡…

刈谷城跡とその周辺

今日は刈谷城跡(亀城公園)とその周辺の史跡を探索してきた! 刈谷城跡に行くには名鉄刈谷市駅からか、もしくはJR逢妻駅などから行くと近い。 刈谷城自体は跡しか残っていないけど、CGによる復元がネット上や、歴史資料館で販売しているDVD(1000円)などで確認…

尼子好きになったきっかけ

そういえば、散々尼子のことばかりを言ってるけど、好きになったきっかけって言ってないなと思ったので、そのことについて。 尼子好きになったきっかけは戦国BASARAの尼子晴久を好きになったことが一番大きい。というか、そもそも戦国好きになったきっかけが…

今後やりたいこととやる理由

中井家ばかり言っていたけれども、そろそろ他の家臣達も調べ始めようかな。 というのもね、中井家の情報はそれなりに集めた方だなと思うし、何より知識が増えるとさらに疑問が湧いてきて、知りたいことも増えるんだよ。もう中井家だけじゃ、物足りないんだ!…

「竹生島奉加帳」と「尼子家旧記」の中井家

資料の中の中井家シリーズ、今回は「竹生島奉加帳」と「尼子家旧記」に関して。 竹生島奉加帳は1540年当時の尼子家家臣団を知ることができる貴重な資料。 この中では中井家は ・中井助右衛門尉 ・中井対馬守秀直 ・中井四郎兵衛尉 の3人の名が載っている。 …

尼子分限帳に関する個人的見解

https://camonambam.hatenablog.com/entry/2019/07/12/221940 以前、尼子分限帳に関する岡崎英雄氏の見解をまとめたので、今度は自分の考察とか意見とかをまとめてみる。 正直なところ、尼子分限帳の信憑性に関して私はまだまだ疑っている。以前も書いた川副…

御堂山・砥神山(丹野城址、三月田古墳)

今日は久しぶりの晴れの休日だったので、蒲郡にある御堂山と砥神山に行ってきた。 ここはアクセスがよく、電車だけでいける。自家用車がない私には有難い。 さっそく駅から歩いて、三月田古墳へ。 ちょっと小高い丘に2号、3号と並んでいる。1号はもう存在し…

「尼子氏分限帳」の信憑性について

尼子氏分限帳というと、長年、資料としてはいまいち信用できないものだとされているが、これに関して『尼子裏面史』で岡崎英雄氏が思わず「おっ」と思わせる解説をしてたので、軽くまとめてみる。 そもそも、この資料が怪しいとされている原因は、尼子研究に…

三ヶ根山と殉国七士の墓

今日は西三河の数少ない山である、三ヶ根山に行ってきたよ!ここは紫陽花が有名で、特に今はかなり見頃なんだ。 大半の人は山頂付近の駐車場に停めて、紫陽花ロードと殉国七士の墓を見るぐらいなんだけど、我々(私と友人)は登山口から登ってまいりました。 …

『新雲陽軍実記』内の中井家

『尼子物語』はやったので、次は『雲陽軍実記』の中の中井家について。 まず、中井という苗字の人物を列挙していくと ・中井駿河守久包 ・中井平蔵(平三兵衛) ・中井兵衛* ・中井助右衛門 ・中井善左衛門 ・中井與次郎 以上6名が登場。(平蔵と平三兵衛と2種…

『尼子物語』内の中井家

『尼子物語』内で書かれた中井家関連のことで、気になることと考察とか。 まず、気になったのは中井久家こと中井平三兵衛の名前の表記。『尼子裏面史』や『尼子氏関連武将事典』では、平“三”兵衛と書かれていたのに対し、『尼子物語』ではそう書かれてたのは…

『尼子物語』と『新雲陽軍実記』感想

しっかりとではないけれども、一応一通りは2冊とも読めた。 『尼子物語』こと陰徳太平記は、尼子の歴史を最も忠実に表現した本だと言われてるだけあって、わかりやすい。とはいえ、毛利側からの視点なので、多少は警戒すべきなのだろうけど…。 『新雲陽軍実…

雲陽軍実記と陰徳太平記とか、尼子が好きな理由とか

とうとう図書館でハーベスト出版の『新雲陽軍実記』と『尼子物語』を借りてきた。 『尼子物語』は陰徳太平記の尼子氏関連の部分だけを抜き出したもので、『新雲陽軍実記』は言わずもがな、雲陽軍実記の現代語訳。 尼子家を知る上でなくてはならない2冊ではあ…

東谷山と白鳥塚古墳

今日は名古屋の最高峰、東谷山に行ってきたよ!あと、帰り道に少し白鳥塚古墳も寄ってきた。 この山、何よりも嬉しいのが、高蔵寺駅や中水野駅から行ける場所だということ。だから、バスの時間とか気にせず、気楽に行くことができるよ。 今回は『新 こんなに…

『尼子氏の城郭と合戦』高守山城

『尼子氏の城郭と合戦』という本が、2018年に出ていたことをつい先日知ったので、さっそく買ってきました。 まだパラパラ流し読みしただけなので、読み込めてはいないんだけど、ちょっと気になるところがあったので、まとめようかなと。 本自体は、第一部で…

長久手古戦場

過去にTwitterで公開したやつだけど、見辛いと思うので、こちらにもまとめます。 4月上旬に花見目的で行ったので、桜が満開の時のやつです。 じゃあ、さっそくいきますか。 リニモの「長久手古戦場」駅から出てすぐに、長久手の合戦の説明と家紋が書かれたモ…

このブログをやっていくにあたって

私がなぜ、尼子と平塚・戸田という関わりもなければ、時代も武家も全然違うふたつを愛でてるのかというと、単純に好きだからというのと、彼らに対する私の疑問や知識欲に答えてくれるような本や研究者の方がいないからなんだよね。 尼子家は地元に愛されてる…

中井綱家 まとめ

中井綱家についての現時点での情報まとめ(随時更新します) 中井綱家(久包)(1496-没年不詳) 1496年7月12日生誕。秋上文書寄進状内に「生年丙辰歳七月十二日誕生是也」との記載あり。 中井家清の子か。通称は助右衛門(助左衛門・助衛門表記もあり)、官名は…