カモ歴史日記

史跡巡りや戦国考察など

『尼子物語』内の中井家

  『尼子物語』内で書かれた中井家関連のことで、気になることと考察とか。

 

 まず、気になったのは中井久家こと中井平三兵衛の名前の表記。『尼子裏面史』や『尼子氏関連武将事典』では、平“三”兵衛と書かれていたのに対し、『尼子物語』ではそう書かれてたのは一度だけで、他は平“蔵”兵衛と表記されていた。ちなみに『新雲陽軍実記』では平蔵呼びが多い。

 平蔵呼びされると、別人感が強いのであまり好きではないけど、慣れればまぁそんな表記もあるよねって感じだし、神経質になるところではないね。

 

 それより重要なのは登場した中井という名前の人物。

・中井駿河守久包

・中井平蔵兵衛久家

・中井助右衛門

・中井与次郎

・中井善左衛門

 上の二人はもう説明不要だと思うので、そこはスルーで。

 一番気になるのは中井助右衛門。助右衛門というと、綱家が駿河守に叙任される以前の通称なんだよね。それを引き継いでいる人物というと、通常嫡男か嫡孫かが考えられる。でも、綱家の嫡男が久家なのは確定事項だから、あり得るとしたら嫡孫。

 そもそも彼が出てくるのが、義久の杵築までついていった69人の一人としてと、再興に応じて忠山に馳せ参じた時の2回。両方久家とともに登場してるし、久家の子どもの可能性が高いかな。

  でもね、尼子家旧家を見ると助右衛門という人物は出てこないんだ。代わりに出てくるのが、中井四郎左衛門尉とその子である中井藤五郎と次郎右衛門尉。

 

 もう訳がわからん。そもそも与次郎と善左衛門の二人は、綱家・久家と血縁なのかどうかもわからん。与次郎は義久の杵築までに同行した69人の一人なんだけど、何故か綱家・久家・助右衛門とは離れて書かれてるんだよね。同じ家系なら普通はまとめて書くだろうに…。

 善左衛門は横道兵庫介の姪婿で、毛利側に寝返って、横道兵庫介を討った人物として書かれているだけ。情報が少なすぎる。

 

 なので、もうちょい調べる必要がありそう。雲陽軍実記もそうだし、翻訳ではなく『陰徳太平記』原本もね。マイナー武将・武家といえど、奥は深い。