カモ歴史日記

史跡巡りや戦国考察など

最近の心境

 最近よく思うんだけど、やっぱり私って“普通”じゃないんだなぁ。
 正直それは数年前からわかっていたことだし、改めて何か劇的な出来事とかがあったわけではないんだけど、色々な本を読んだり、ちょっとした経験を経て再認識した。
 とにかく私って知識を得ることが好きなんだよ。それこそ歴史、美術、文化、人類学、宗教学、哲学、文学、脳科学、心理学、その他なんでも。
 そして、自分が知らないことを知っている人や、自分なんかとは格が違うって思わせるほどの博識な人は無条件で好きになる。っていうか興奮する。世の中にはこんな天才的な人がいるのか、私なんか足元にも及ばねぇ、私は世の中のこと何にも知らないんだなって思えるのが楽しくて仕方ない。
 そして、そんな自分が嫌だし、天才に近づきたいし、世の中のことをもっと深く理解したいって思うから、もっともっと知識が欲しい、本が読みたいって貪欲になっていく。それに、知識が増えれば増えるほど知りたい分野の幅も広くなるんだよね。止まらないんだよ、知識欲って。
 大学の友達が結婚したり、周囲が婚活だの彼氏だので騒いでるのに、私は心理学面白ぇー!!楽しぃー!!なんだから、もう女としては終わってるね。
 でも、もうさ…“普通”じゃなくていいやって思うんだよ。無理して周りに合わせんのって息苦しいし、人生楽しくないもん。
 そもそも生まれついた瞬間からASDっていうものを背負ってるんだから、どれだけ頑張っても完璧に“普通”の人になることなんてできないんだよ。だったら最初から自分らしく生きたいように生きればいいだけなんだよね。
 ファッションにしろ恋愛にしろアイドルにしろ、“女の子”らしいものにはまったく興味が湧かないし、誰かといるより一人の方が気楽だし、雑談なんて大嫌いだし、そもそも好意的に思っている人以外には興味がない。化粧だってマナーだから嫌々やってるだけだし、女性らしい服はできれば着たくないし、むしろ私が着たいって思うのは男性向けの服の方が多い(身長的な問題であまり着ないが)。私には本とゲームと歴史があれば、他のことなんて大して気にならない。

 現代社会では“普通”から逸脱すればするほど攻撃の対象になりやすくなるから、とにかく目立たぬように周囲に合わせて自分を押し殺すしかない。
 そう思い続けていたからこそ、私は“普通”になれない自分が大嫌いだったし、とにかく目立つことが怖かった。自分をできるだけ見せぬように、誰かの目に留まらぬように、誰にも迷惑をかけないように、そう生きることでしか社会に自分の居場所はないと思ってた。
 でも、別にそんなことないよね。無理して他人に合わせて息苦しくなるぐらいなら、他人にどう思われようと好き勝手生きる方が有意義だよ。実際私が好き勝手生きてるのを「良い」って言ってくれる人もいるんだし、自分にとってどうでもいい人達の評価を気にし過ぎてもどうしようもないんだよな…。
 まぁ結論としては、“普通”じゃない自分を受け入れてしまえば、今まで感じていた生きづらさもちょっとは楽になるだろうし、もっと自分を大事にしていかなきゃなって思い始めたってことだね。この心境に到達するまでかなりかかったけど、ようやく自分を好きになれそうな気がしてきた。