カモ歴史日記

史跡巡りや戦国考察など

滋賀尼子巡り 感想ver.

 さて、感情を極力抑えた真面目な滋賀尼子巡りの記事は書いたから、感情爆発verも書くか。

 ここからは振り切れたテンションでお送りするので、真面目なのをご希望なら読まない方がいいです。

 ちなみに真面目なやつ↓

https://camonambam.hatenablog.com/entry/2019/08/13/231834

 

 いや、滋賀の尼子は7月ぐらいからもう行きたくて行きたくて仕方がなかったからね。片道三時間なんてあっと言う間でした。

 愛知から行ってるので、尼子駅に行くには彦根で乗り換えるんだけど、彦根からもう最高。駅から城らしきものが見える!屏風とか鎧とか置いてある!楽しい!!ってなってた。

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 ただね、駅内にある鎧を撮ろうとしたらね、こいつどう足掻いても反射しやがるんですよ。仕方ないので諦めました。反射したやつは気にしたら負けです。

 彦根から近江八幡方面の近江鉄道に乗って尼子駅へ。本数が少ない…。わがままなのはわかってるけど、愛知は10分15分で来るのが当たり前だから…!慣れてないの…!!

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 尼子駅到着〜。もう駅から!楽しい!!尼子だらけ!!!

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 尼子駅コミュニティ内には藤堂高虎のパネルがあった。まぁ全国的には藤堂さんのが有名だしね…。

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 コミュニティ内には机と椅子がたくさんあるんだけど、肝心の一番欲しい地図がない…!仕方がないので、駅前にあった周辺地図の看板を写メって、それに従って行くことに。下準備をしないとこういうことになるよ、気をつけようね☆

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 まぁほぼ一本道なので迷うことはないんだけど、途中の道から!私をニヤけさせてくる刺客が!!

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 終始、ニヤニヤしてました。楽し過ぎるよね。仕方ないね。

 15分ぐらいかな、歩いてたらこんな看板が。

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 いよいよ来たぞ!とワクワクしながら歩く。

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キターヾ(°∀° )/ー!

 ただし、真面目verでは普通に行けたみたいに書きましたが、めっちゃ迷いました。『尼子氏の城郭と合戦』に書かれてた「住泉寺」を地図アプリで目的地に登録してここまで来てたので、住泉寺には着いたけど、そこからどこ行けばいいかわからなくなったんです。最終的には住泉寺からの小道が尼子土塁公園に繋がってるとわかったんですが、それを知らない私はまったく違うところを歩きまわりました。

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 住泉寺にも土塁跡があるよ。


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 この小道を通るのが正解。

 本当は土塁公園より先に、藤堂高虎の出生地「八幡神社」に着きました。まぁここも行きたかったから!結果オーライ!!

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 最終的に地元の人に行き方を訪ねました。ようやく着いたぜ…!

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 説明の碑がある以外は、ブランコとかがある普通の公園って感じ。そこまで大きくもない。

 とりあえずベンチで休む。おやつに持ってきたプリッツを食べながら、ぼーっとする。しばらくいたけど人は来なかった。土管とかくぐってみたかったけど、カモさん23歳だからね。23歳土管ではしゃげない。人に見られたら社会的な死が待っている。

 さあ、休憩できたし殿城池に行こう。こっちは迷うことなく行けた。民家の中にサラッとある。

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 さて、これで目的は達成出来たわけだけど、せっかく来たなら周辺の史跡もまわりたいよね。というわけで、藤堂高虎所縁の地へ向かう。

 高虎公園までは一本道なので迷わない。滝があるとかいうので喜んで行ってみたら、何か違う…!人工的なやつかよ…ガッカリだよ…

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 高虎公園到着!広いし、めっちゃ整備されてる!なんか差別感!これが知名度の差なのか…!

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 さて、ここで恐ろしいことに気づいた。もう13時過ぎてる。ここから岐阜に行っても楽しめないじゃないか…。ならいっそ開き直って、この辺探索するか。殿城池の説明碑に書かれてた勝楽寺が気になるし、そこに行こう。調べたら歩いて40分ぐらいだ。全然行けるわ。

※カモさんは史跡のことになると感覚が狂うよ♪無意味に二時間以上炎天下で歩かされたら普通にキレるよ♡

 途中にある史跡ももちろんまわっていく。街中に観光案内図がたくさんあるので親切。

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 すると、甲良神社という佐々木家と関わりのある史跡を発見。佐々木家に関連するなら、尼子にも関連するから、これは尼子関連の史跡だ。異論は認めない。
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 そして、歩いてる途中に道の駅があることを初めて知る。もちろん寄る。ここで遅めの昼食を取り、さらに地図をゲット!しかも尼子氏顕彰会のパンフレットもあったので、これもゲット!やったぜ!!

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 ここまで来たら勝楽寺までは遠くない。ひたすら歩くよ。

 看板に導かれて行けば、最高のお出迎えが。疲れた頃にこういうの出して、テンション上げさせるんだから〜。これだから史跡巡りはやめられない。

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 勝楽寺までに神社があるっぽいので、そちらも寄る。

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 いよいよ、勝楽寺だ!まず目に入るのは大きな池。

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 その奥に勝楽寺が見える。

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 佐々木道誉のお墓もある。尼子家の歴々の宝塔を思い出した。

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 写真撮ってたら、お寺の方が出てきて下さった。駅から歩いて来たと言ったら、少し驚いていらっしゃった。まぁ私は見た目だけならおとなしそうな感じだからね。ぱっと見では、私の歴史に飢えた本性はわからんわな。

 ハイキングコースは案内板だと2時間とか書いてあるけど、私ですら登頂から下山まで1時間20分ぐらいしかかからなかったので、だいぶ多めに見積もられてる。でも途中険しいところがあるので、登山慣れしてないとキツイかも。

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 扉を開けてすぐに砂防ダムが見える。カッコいい!古代の遺跡感ある!

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 そこからすぐに仕置き場という史跡が…。名前からもわかる通り、城主に背いた者を処刑した場所。やだもう、初っ端からビビらせてくる。

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 ここから山道になるよ。まぁでも経塚まではそこまでキツくない。ただ、蜘蛛の巣が張り巡らされてるから、かなりの期間誰も登ってない?という疑惑が…。今から登れば私が破壊しまくった後なので、スッキリしてるよ!

 経塚の看板は、何故か古いものが地面に落ちてた。いらないから?事故?

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 狐塚まで行くと景色がひらけてくる。登ってきた甲斐あって景色はいいね。そして、何故か古い看板は落ちている。理由があるのかな?

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 ここからの道が少し危険。登山道にも「足元注意」という注意書きがある。登りも下りも慎重に行こう。

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 登りきると道が二手に分かれる。上臈落としの方が簡単に行けるので、こっちを先に行く。さっきから物騒な史跡ばっかりだなぁ…。

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 戻って城跡の方へ向かう。ちょうど城跡の看板がある辺りが頂上。310mとまあまあの高さ。

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 本当はその奥に見張台があるんだけど、体力、時間的にキツイと判断して下山。仕方ないよ、ここから歩きで駅まで行くからね(片道一時間)。

 帰りは道がわかってるから、スイスイ行くよ。ただしできる限り史跡はチェックする。

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 大工の棟梁、甲良豊後守宗廣の銅像
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 甲良神社(権殿)!本殿よりこっちのが綺麗なのはなんでなの?って思ったら、本来はこっちが本殿だったらしい。
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 ようやく駅だー!本数少ないから逃したらヤバい。結構ギリギリに着きました。尼子駅コミュニティは閉まってた。昼間しか開いてないのかな。

 いやでも充実した一日だった…。予定とは違ってしまったけど十分だね。でもいつかは彦根にリベンジ行くぞ!あと岐阜も!行けてないところいっぱいある!

尼子館と勝楽寺と藤堂高虎関連

 昨日(8月12日)に滋賀県尼子駅周辺を探索してきた。1番の目的は尼子館だったけど、最終的には藤堂高虎関連の史跡と佐々木道誉に所縁のある勝楽寺にも行ってきた。

 尼子館は尼子駅から歩いて15分から20分ぐらいのところにある。今は土塁公園という名前になっており、それとは少し離れたところに殿城池という、尼子城の堀跡も存在する。

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 公園自体はさほど広くなく、碑とブランコなどの遊具が少し点在するぐらい。

 佐々木道誉のひ孫である高久がこの地に築城したことから、尼子氏を名乗り、近江尼子、出雲尼子氏の歴史が始まったとされる。

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 殿城池は堀跡でもあるが、ここには尼子の姫「八千姫」とその侍女「お園」が身を投げたという逸話も残っている。八千姫は水神として、また、お園は"お園堀"という名称で残り、親しまれている。

 

 ちなみに尼子館のすぐ近くに、藤堂高虎が出生したとされる在士八幡神社がある。

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 そこからしばらく行ったところには高虎道、高虎の銅像、残念石などがある、藤堂高虎メインの公園もある。

 「残念石」は大阪城に使用する目的で切り出されたものだが、使われることなく終わったので、残念石と呼ばれたとされる。

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 藤堂高虎関連で言えば、日光東照宮の棟梁である甲良豊後守宗廣の銅像も近隣にあるので、そちらも見ておくといいかもしれない。日光東照宮藤堂高虎が作事奉行となり1617年に造営され、1636年に宗廣が作事方大棟梁となり、「寛永の大造替」をおこなった。

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 他にも、佐々木家の家紋(四つ目結)が使われている甲良神社もあり、ここは本殿と権殿と2ヶ所存在する。どちらも文化財(県指定、重要)に指定されている。四つ目は拝殿棟鬼板と神輿に使われているとされる。

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 佐々木家と関わりが深いのが、勝楽寺。ここには佐々木道誉の墓もあり、勝楽寺城の跡も確認できる。

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 勝楽寺から城跡までは山道となっており、その途中には佐々木家と関わりのある経塚や狐塚、上臈落としといった史跡も点在。登頂から下山までは1時間半もあれば十分なコースだが、途中急な坂があるため注意が必要。

 勝楽寺城は高築豊後守が築城したとされ、うね状縦堀山城として全国的にも珍しい作りである。しかし、現在は土塁と礎石、石垣が残るのみとなっている。

 ちなみに尼子駅から勝楽寺までは、徒歩だと片道一時間かかるので、できれば車で来た方が良い。

 車で来るのであれば、近くに道の駅「せせらぎの里こうら」があるので、そこで地図の入手や食事、買い物などもできる。

竹生島奉加帳 富田衆まとめ

 自分用に竹生島奉加帳の富田衆の情報をまとめておく。

 米原正義先生による富田衆の定義は「富田城詰めの諸将」であり、「直臣で奉行」。

 岡崎英雄氏の富田衆の定義は「尼子直轄地から扶持を受ける直臣」。

 

 竹生島奉加帳に書かれた武将の総数は37。武家の数は26。

 

 書かれた人々を武家ごとに整理すると、以下のようになる。

池田氏(四郎次郎)

・今津氏(藤兵衛尉)

・宇山氏(大蔵丞、弥次郎)

・亀井氏(藤左衛門尉国綱)

・河本氏(左京進久信)

・河副氏(右京亮)

・古志氏(六郎左衛門尉)

・雑賀氏(豊前守)

・高尾氏(備前守、新右衛門尉)

・高来氏(宗三郎)

・高橋氏(大蔵丞)

・立原氏(備中守、次郎左衛門尉幸隆)

・中井氏(助右衛門、対馬守秀直、四郎兵衛尉)

・疋田氏(左衛門尉)

・福瀬氏(左衛門尉)

・福頼氏(助四郎、右馬亮、又七)

・松浦氏(助次郎)

・目賀田氏(三郎右衛門尉)

・森脇氏(治部丞久家)

・安井氏(四郎左衛門尉)

・屋葺氏(七郎兵衛尉幸保)

・山佐氏(五郎左衛門尉、左衛門尉)

・山中氏(三郎兵衛)

・湯原氏(次郎右衛門尉幸清、弥次郎、又右衛門尉、左馬亮)

・横道氏(三郎左衛門尉久宗)

米原氏(左馬亮)

 また、上には含めていないが、奉行人として亀井太郎左衛門安綱がいる。

歴史好きの多様さ

 歴史好きって一言で言っても、色々いるなーと、常々、特にTwitterやってから感じる…。

 アカウント作ったのがそもそも2月とかなので、まだ半年ぐらいだし、関わってる人も少ないけど、個性というか色々なタイプの歴史好きがいるなってのは思った。

 私は史跡巡るのが好きだけど、行く際はその史跡の時代とか関連する人物とか気にせず、とにかくそこへ行く!知ってるかどうかなんてどうでもいい!そこで学べばいいんだよ!みたいなタイプ。勿論、自分の好きな人物とか時代の史跡の方がテンションは上がるけど、ぶっちゃけ史跡なら何でも喜ぶ。詳しく知らない史跡を訪れて、そこで新しいことを学べるなら学びたい。知ってるところならそこで自分の知識と照合させて、歴史上の人物たちに想いを馳せて楽しむ。

 要は、史跡を訪れるという行為自体がすごく好きなんだ。

 

 それとは別に、好きな人・ものの歴史について勉強するのも好き。その際は大体、一人の人間や一つの武家、国、時代とかに執着する。調べる時は特定のものに関連することしか調べない。

 

 だから、私の中では「史跡を訪れる」ことと「好きなことについて調べること」は、まったくの別物なんだよね。

 そりゃあ、好きなことに関連するところに行けるなら最高だし、テンション振り切れるけど、大体そこって遠いし簡単に行けない場所なんだよね。だけど、定期的に史跡には訪れたい。なら、どこでもいいから歴史に関連する場所に行こうってなるんだよね。

 でも、やっぱり史跡巡り好きにも色々いるよね。城を訪れることが好きで好きでたまらなくて、遺構やら縄取図書くほど好きな方もいるし、好きな戦国武将に関連する史跡ばかりを訪れる人もいる。有名なところばかりを訪れる人もいるし、地元を重点的にまわってる人もいる。人それぞれだよね。

 

 そして、それと同時に、歴史に対する熱意にも温度差があるなとも感じる。

 私は歴史で頭の中の8割ぐらい埋まってるような人なので、呟いたり、ブログの更新をしていない時も大体歴史のことを考えてるし、調べてる。まぁ、それなりに歴史に対する熱意はある方だと自負してる。

 最近読んだ漫画にね、「同じ趣味でも温度差があると上手くいかない」というセリフがあって、すごく響いたし、印象に残ったんだ。

 過去に歴史が好きという人に会った時、話が全然盛り上がらないことがあって、なんでか凄く不思議だったけど、温度差があったからなんだって、ようやく納得できた。

 ツイッター見てても、そんなことはよくある。同じような趣味でも、この人と話してみたい!好き!ってなる人と、そうでもない人がいるんだよね。たぶん私とその人で温度差があるのかな。単純に性格が合わないのかもしれないけど…。

 正直、私は「好きすぎて頭おかしいのかな」レベルの歴史好きが好き。城行かなさ過ぎて城だらけの場所に行く夢を見た、みたいな人とか大好き。私は世間一般が変人と呼ぶような人が好きなのかもしれない。でも、そういう人の方が面白いじゃん。まぁ、私も若干そんな傾向があるからね。歴史ガチ勢の方々には、まだまだ遠く及ばないだろうけど。

 それでも、やっぱり思ったよ。同じ趣味で、同じぐらい熱意があるって人に出会えるのって、すごい確率の低いことなんじゃないかなって。特に、好きなものがマイナーな時は絶望的だよね。メジャーなものなら、多少は知り合える確率も上がるんだろうけどさ。

 ネットによって、顔を合わせなくても知り合えるようになったと言っても、それでも巡り会えるかどうかなんてわからないしね。かえって人との距離をより感じるようになった気がする。物理的にも、精神的にも。

刈谷城跡とその周辺

 今日は刈谷城跡(亀城公園)とその周辺の史跡を探索してきた!

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 刈谷城跡に行くには名鉄刈谷市駅からか、もしくはJR逢妻駅などから行くと近い。

 刈谷城自体は跡しか残っていないけど、CGによる復元がネット上や、歴史資料館で販売しているDVD(1000円)などで確認できる。下の写真は十朋亭内にあった模型。

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 刈谷城跡は今は亀城公園という名前の公園になっており、本丸跡の石碑などが置いてある。

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 公園内には本丸跡の石碑以外にも、松本奎堂の歌碑や十朋亭という建物があって、十朋亭内には刈谷の史跡に関するムービーが見られる。入場も無料。復元模型もここの中にあった。

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 亀城公園から少し出たところには、「トヨタ」を作った豊田佐吉の胸像がある。

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 本来は先に行くべきだけど、ここから郷土資料館の方へ向かう。

 郷土資料館も入場無料。昭和のミシンやおもちゃ、家財道具などが展示されている。ここでパンフレットと地図を入手。

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 次は学校の方へ行き、大手門跡を確認。

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 そのすぐ近くには文札館跡。藩士の子弟教育のために設立されたものだとされている。
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 お次は、少し歩いて「椎の木屋敷跡」の方へ。ここは徳川家康の生母、於大の方松平広忠から離縁した後、しばらく滞在したとされている場所。整備されており、トイレや休憩所も用意されている。

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 ちなみに於大の方に所縁の場所として、於大通りというものがある。刈谷市駅から亀城公園へ向かう途中の道がそれに当たる。

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 椎の木屋敷跡の次は、「下町常夜灯跡」。昔は刈谷町と熊村の境目だったらしく、これが目印だったそうな。

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 次の「札の辻跡」も本町と中町の境目だった場所。また、寺横町と南横町とも交わって辻になっており、その北西に高札があったことから、その名前で呼ばれたとされている。

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 次は町口門跡。

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 ちなみに緒川口門跡に関しては、目印となる碑などは建っていない。恐らく今は駐車場になっているところ付近だろうとは思うんだけど、写真は撮ってない。周り民家だったし…。

 町口門跡と緒川口門跡の間には、「松本奎堂碑」がある。こっちは旧屋敷跡。

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 しばらく歩いて「市原常夜灯」へ。ここは民家っぽいところに、さらっとあるのでわかりにくい。

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 次は「中島秋挙句碑」。中島秋挙(1773〜1826)は刈谷藩士の子として生まれ、諸国を放浪し俳諧三昧の生活をしていたとされる。「夜わたしの 今に声あり 華さかり」の句が刻まれている。

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 最後は市原稲荷神社。そこそこ大きくて、綺麗な神社。お守りとかおみくじも売ってる。今日は夕方に行ったので人もいなかったけど、休日はそれなりに賑わうのかな?

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 ここからは駅に戻る。途中にも史跡を発見。

 宍戸弥四郎生誕の地。宍戸弥四郎は松本奎堂らとともに尊皇倒幕派天誅組となったとされている人物。ここ以外にも天誅組関連の史跡が集まっているようなので、そこをまわるのも楽しそう。

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 これだけまわっても2時間半ぐらい。ただし夕方になってしまったので今日のところはこの辺で。

 ちなみに刈谷城跡とは別に、刈谷古城というのもある。刈谷城を作った際に廃城になったものらしい。こっちも是非行ってみたい。

 下は時代別の刈谷城周辺の地図。

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尼子好きになったきっかけ

 そういえば、散々尼子のことばかりを言ってるけど、好きになったきっかけって言ってないなと思ったので、そのことについて。

 尼子好きになったきっかけは戦国BASARA尼子晴久を好きになったことが一番大きい。というか、そもそも戦国好きになったきっかけがBASARAだった。それまでも歴史好きだったけど、特に好きな時代は無く漠然と歴史そのものが好きって感じだった。

 最初にプレーしたのはBASARA3で、お気に入りのキャラは風魔小太郎。兄がやってるのを見てやり始めて、最初は単純にゲームとして楽しんでた。

 そもそもBASARAにおける尼子晴久は地方領主という脇役?みたいな扱いだったので、初めは認識してなかった。意識するようになったのは、ビジュアルブックか何かで顔をしっかり見た時かな。

 私は昔から中性的な男性キャラが好きだったんだ。ヒカルの碁の佐為とか、リボーンの六道骸とかね。

 簡単に言うと、尼子好きになったきっかけは尼子晴久の顔がね、超タイプだったからです。そもそも衣装がどピンクですよ。見れば見る程、成人男性が着る服じゃない。

 顔もね、目は切れ長で睫毛長いし、鼻筋も通ってて、唇もピンクでめっちゃ美人なんです。イケメンとか男前というより"美人"。しかも、公式で美青年という設定。最高かよ。

 ただ、声は男らしく低めで、口が悪い。おまけにポエマー。何言ってるかほとんどわからない。性格もプライドが高くて、外見に似合わず、男らしい。

 ギャップが凄い。見た目と内面、声とのギャップが半端ない。素晴らしい。ギャップ萌え最高。

 尼子にはそんな感じでハマりました。でもBASARAは4で、設定の無茶苦茶加減についていけなくなり、離れてます。

 その代わりにハマったのが戦国大戦。アーケードの方。TCGは一緒にやってくれる人がいないので、未プレイ。

 戦国大戦にハマった時は普通に北条とか雑賀を使ってたけど、尼子晴久がこちらもいるということで、どれどれと見てみれば、ピンク髪の"チャラ男"…!息子の義久の方が落ち着いた外見じゃん!逆じゃない⁉︎というか尼子家…晴久以外は強面や筋肉ばっかりやん!鹿介はイケメンだけど、計略が完全にドM仕様だし!晴久の計略とは相性いいのが腹立つ!

 大戦の尼子も、また無茶苦茶な設定だなぁ…とは思った。でも、毛利伝のストーリーの尼子家がね、めっちゃかわいいんですよ。まぁ、出てくるのが、経久、晴久、誠久、常光、義久ぐらいなんですけどね(鹿介は時代が違う)。

 晴久は、経久には強く逆らえなくて、おとなしくなっちゃうけど、誠久とは子どもみたいな言い争いの喧嘩してるし、本城常光のことは信頼してて仲良しっぽい。

 しかも、呼び名がまた良くてね…。晴久は経久のことは「経久様」って呼ぶんだけど、うっかり「お爺様」って呼ぶことがあって、それがめっちゃかわいいの!!誠久とか元就のことはそのまま呼び捨てなんだけど、常光のことは「常ちゃん」って呼ぶんだ。か〜わ〜い〜い〜。

 チャラ男という人種は、個人的にはかなり苦手な部類に入るんだけど、晴久は全然いい。むしろ好き。

 ていうか、なんでピンク髪なの?かわいいんだよ、ふざけんな。右側にだけ紫のメッシュ入れてるのもかわいい。常光が右側だけおさげにしてるのは、晴久とお揃いにしてるのかな。仲良しかわいい。

 あと、神官服っていいよね。指輪もピアスも苦手だったけど、いいなって思い始めた。常光もピアスと指輪つけてるんだよね。やっぱり晴久と二人でお揃いにしてるの?かわいいかよ!

 そんな感じで、中学3年から高校にかけて戦国と尼子にハマっていきました。大学に入って世界史に堕ちて、しばらく離れてたけど、戻ってきてやっぱり尼子はいいなと実感するばかり。

 また、何かに没頭しなければまだまだハマり続けるかな。調べれば調べるほど、もっと知りたいって感じになってるからね。

 

 あぁ、そういえば、中井家にハマったきっかけは、pixivに投稿されていた、とある小説です。地方領主に関連する武将をオリジナルで作って、絡ませるという内容のものなんだけど、その中に久包が登場してて、それが余裕のある男性って感じで惚れたんだ。

 私は中性的な男性も好きだけど、包容力のある男性も大好きなんだ。BASARAでは風魔と晴久の次に、猿飛佐助と大谷吉継を推してるからね。オカン組最高だよね!甘えたい!!お世話されたい!!

 中井久包は晴久の守役な訳だから、絶対包容力あるでしょ?しかも晴久は幼い頃に父親を亡くしてるわけだから、その分久包に甘えたのかな?とか思うと、堪らん。

 大戦もBASARAも晴久は中性的な男性だし、その守役である久包を妄想すると、包容力ある男性がその中性的な男性を育てて、最終的には家老になり支え、死後も忠誠を誓い続けるという私得設定が出来上がるんだよ。そりゃハマりますわ。仕方ないわ。

 我ながら煩悩に塗れてんな。でも、時に萌えは最強の原動力になるのです。

 調べるようになったのは大学で調べ方を学んだからだけどね。元々調べるのが好きな性分もあるから、完全に萌えだけで動いてるわけではない。知りたい欲もきちんとある。が、その原動力の大半は"萌え"である。

 そんな人間です、私は。高尚な人間ではとてもない。私を真面目な研究者のような人だと思っているなら、それは間違いだ。私は常に自分のことしか考えていない。自分が知りたいから、好きだからというだけで動く、自分勝手な生き物だ。こんな奴です、ええ。

今後やりたいこととやる理由

 中井家ばかり言っていたけれども、そろそろ他の家臣達も調べ始めようかな。

 というのもね、中井家の情報はそれなりに集めた方だなと思うし、何より知識が増えるとさらに疑問が湧いてきて、知りたいことも増えるんだよ。もう中井家だけじゃ、物足りないんだ!私は!!

 とはいえ、最愛が中井家であり綱家と久家なのは変わりない。ただ、改めて深く知っていくためにも総合的な知識がいるよね、という話。

 中井家の次に好きな多胡辰敬のこととかね。もう知りたくて堪らない!本城常光のこともずっと詳しく調べたいって思ってる。

 あと、立原幸隆、本田家吉、大西高由の中老トリオとか、めっちゃ知りたい!普段から仲良かったら萌えるなとか、年近かったりしないかなとか考えるのめっちゃ楽しい。この3人の関係性探りたいわ〜。

 好きではないけど、知りたいのは河本家。雲陽軍実記の作者 隆政と、それを保管していたという隆任について。こいつらがどういう立場であったのかを解明させるのは、雲陽軍実記の信憑性とかにも関係してくるし必要なことでしょう。

 それに、川副久盛も尼子家旧記だと老中とか言われてるのに、尼子分限帳だとやたら扱い悪いし、なんでやって思う。だからこそ調べたい。

 あと秋上家も!中井家と結構関わりがあるからね。庵介ばっかり注目されがちだけど、お父さんの綱平含めて、この家のことをもっと詳しく知りたいね。

 それと関連して吉田家も調べたい。秀直が隷属化したとかいってるけど、実際はどうだったんだろ…。

 あと、亀井家とか宇山家とか、家中でも重要な立場だった家のことは知らなければいけないなって思うよ。

 というか富田衆みんな調べたい。出雲衆も知りたいけど、やっぱり直臣に相当する人達だし富田衆は調べなきゃダメだよね〜。何より彼らは第二次月山富田城戦でもほとんどが最後まで残っていて、忠誠心の高さを見せつけてくれるからね。最高だよね!!

 もう、そうなってくると家臣団事典みたいなの作れそうな感じになってくるよね。最終的には、サイトとか作って武将毎に紹介ページ作れたらいいなとは思うよ。私の密かな野望の一つがそれだもの。

 ただ、下手に専門家みたいになると自由に動けなさそうだし、今みたいに趣味でやってる、ただの愛好家です〜的な感じでいたい。

 

 話はちょっと変わるけど、私は元々マイナーが好きな人なんだよね。どれだけ王道な道から入っても、落ち着く場所は王道から外れた場所。

 戦国もBASARAから入って、尼子晴久を好きになって、最終的に作品内に一文字も出てこない中井家追っかけてるわけだからねぇ…。

 登山でいうなれば、織田信長みたいな王道な人物は、整備されたハイキングコースなんだよね。

 私はどちらかというと、先駆者がほとんどいない、荒れ果てた道の方が好きだったりする。

 尼子家自体はそこまで荒れてる道ではないけど、家臣研究ともなると今まで足を踏み入れた人は、片手で数えられるぐらいという荒れ果て具合。

 例え尼子家臣でも山中鹿介は、それなりに知名度もあり研究書もあるから、これは私には王道過ぎてつまらなく感じる。彼は子どもからお年寄りまで歩ける低山という感じかな。

 やっぱり私が燃えるのは、歴史にかなり詳しい人でも「え?あぁ…名前は知ってるけど…」ぐらいの人!中井家とか、もう正に、理想の武将!!たぶん尼子家詳しい人でもそれほど知られてないんじゃないかな⁉︎でも!だからこそ!いい!!

 若干、自分に酔ってる感はあるけどね。それでも私は中井家への魅力を語れと言われれば、いくらでも語れますからね。そんなに軽い気持ちではなくてよ。

 というかね、単純にわかってないからこそ知りたいというのが、私の原動力なんですよ。誰かがやってくれれば大人しく、それを見てるよ。ただ、尼子家の家臣はやってくれる人おらんねん!!なら、誰かがやってくれるまで待たなければいけないの⁉︎現れるかどうかもわからないのに⁉︎やだよ!それなら私がやるよ!!やってくれる人がいないから!私がやるってだけなの!

 岡崎英雄氏がいるって?あの人はね、中井家の末裔なの。中井家とそれに関連することしか調べてないよ。私が知りたい他の家臣については結構手付かずのままよ。じゃあ、手付かずの部分はどうするの?やってる人いるの?いないよ。じゃあ、私がやるしかないじゃんね。

 最終的な結論はこれにつきる。やる人おらんから、私がやる。おしまい!