カモ歴史日記

史跡巡りや戦国考察など

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

長久手古戦場

過去にTwitterで公開したやつだけど、見辛いと思うので、こちらにもまとめます。 4月上旬に花見目的で行ったので、桜が満開の時のやつです。 じゃあ、さっそくいきますか。 リニモの「長久手古戦場」駅から出てすぐに、長久手の合戦の説明と家紋が書かれたモ…

このブログをやっていくにあたって

私がなぜ、尼子と平塚・戸田という関わりもなければ、時代も武家も全然違うふたつを愛でてるのかというと、単純に好きだからというのと、彼らに対する私の疑問や知識欲に答えてくれるような本や研究者の方がいないからなんだよね。 尼子家は地元に愛されてる…

中井綱家 まとめ

中井綱家についての現時点での情報まとめ(随時更新します) 中井綱家(久包)(1496-没年不詳) 1496年7月12日生誕。秋上文書寄進状内に「生年丙辰歳七月十二日誕生是也」との記載あり。 中井家清の子か。通称は助右衛門(助左衛門・助衛門表記もあり)、官名は…

長篠

今日は長篠行ってきた! ちょっと寝坊したので、着いたのは昼過ぎになってしまったけど…まぁそんなことを気にしてはいけない。さっそく行くぞ! 電車で長篠城駅に行けば、看板がお出迎え。 まずは情報収集。史跡保存館へ行こう! 出入口のところに鬼瓦と強右…

『殉死の構造』オマケ

そういえば、『殉死の構造』に山中鹿介の子孫について載ってたので、軽く触れておこうかな。 山中又兵衛氏連 山中鹿介の玄孫。細川光尚の近習、200石をとった。1650年に亡くなった光尚に殉死した。大阪落城後、牢人となっていたが光尚に召し出され、江戸に下…

『殉死の構造』感想と考察

講談社学術文庫の山本博文の『殉死の構造』(2008年)を読んだので、感想と尼子晴久の殉死者について軽く考察を。 内容としては、江戸時代における殉死について、その人物の立場や殉死の理由を見ていくことで、それがどのような意味であったのかを探るというも…

『戦国人名辞典』戸田・平塚関連

今回は戸田勝隆・勝成兄弟と平塚為広周辺の人。その中でも特に気になる人を中心に。 大谷吉継(紀之介、刑部少輔、従四位下) 紀之介と自署のある花押は、刑部少輔とあるものと同じだが、名は◻︎次と読めるだけではっきりしない。流布書には吉隆ともしてある。…

六所神社と岡崎公園

今日は東岡崎の方まで行ったから、岡崎城周辺を散策してきたよ! 岡崎といえば徳川家康生誕の地。だから家康関連の史跡がかなり集まってるよ。 最初に行ったのは六所神社。東岡崎駅から南に出て10分も歩けば着く。 赤い鳥居がカッコいい。何か既視感があるな…

『戦国人名辞典』戸田家

じゃあ、次は戸田家! といっても徳川に仕えた戸田家ではなく、関ヶ原において西軍について戦った戸田勝成、勝隆達の方ね。徳川に仕えた方の戸田家はスルーで。 戸田勝成(半右衛門、武蔵守) 名を重政、勝重とも。勝隆の弟。はじめ丹羽長秀、長重に仕え、天正…

『戦国人名辞典』平塚家

まず平塚家から。 この本には平塚為広と平塚紀八、平塚三郎右衛門、平塚藤右衛門の4人が載ってる。 平塚紀八(ひらつか きはち):秀吉の馬廻、小田原平定後の天正十八(1590)年7月、某所の普請を分担(浅野家文書) 平塚為広(孫九郎、因幡守):秀吉馬廻。文禄元年…

『戦国人名辞典』感想

インターネットで集めれる情報に限界を感じてきたので、そろそろ専門書に手を出そうかなと思い、図書館で借りてきたよ! 昭和37年初版の『戦国人名辞典 増訂版』著者は高柳光壽と松平年一、吉川弘文館発行 何気なく手に取ったけど、大正解。織田・豊臣中心の…

八事山 興正寺

過去に行った史跡を一つ。 4月の終わりに行った愛知県 八事駅近辺にある興正寺。本当に八事駅から出てすぐにある。 都会の小さな山にあるお寺という感じ。少しだけどハイキングコースもあるよ。名古屋で少しハイキングしたいなって時にオススメかな。 さて、…

宮路山

今日は愛知県豊川市にある宮路山に登山に行ってきたよ! そもそも愛知県って県境にしか山がほとんどないんだけど、数少ない近場にある山、しかも初心者向けということで行って参りました。 今日はめちゃくちゃいい天気で、雲がほとんどない快晴!さすが私!…

はじめまして!

まず、このブログでは、私が訪れた史跡のことや戦国武将に関する考察、妄想などを色々と書き込んでいくつもりです。 更新はあまり頻繁にしないと思いますが、常に何か考えて生きている人間なので、たまに何か発信できればいいなぁと思っております。 私は愛…