カモ歴史日記

史跡巡りや戦国考察など

『尼子氏の城郭と合戦』高守山城

『尼子氏の城郭と合戦』という本が、2018年に出ていたことをつい先日知ったので、さっそく買ってきました。

 まだパラパラ流し読みしただけなので、読み込めてはいないんだけど、ちょっと気になるところがあったので、まとめようかなと。

 

 本自体は、第一部で簡単な尼子氏の歴史と城郭の特徴を述べ、二部以降でそれぞれの城郭の地形図や高さ、難易度、城郭に関わる歴史について述べているという形式。

 

  それで、気になるところというのが、高守山城のページ。

 私の尼子家における最大の推しが中井綱家・久家親子なんですが、高守山城は久家が居城としていた城とされているんですね。(尼子十砦のパンフレット情報)

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 だからこそ何よりも先に読んだんだけど、中井平三兵衛久家の名前は一文字も出てこない。

 まぁ、もうマイナー好きとしては?存在を忘れられるなんて慣れっこですから?それは別に構わんと。そう思ったんですね。(パンフレットの情報だし、どこまで信用できるかわからんしね。)

 

 問題は中井久家の名がないことではなく、歴史の説明文の中にあったんですよ。

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 それがこれ。注目して欲しいのは、「1560年に城将・立原備前守幸隆が討ち死にした」という部分。尼子家の歴史に多少詳しい方であれば、「ん?」と思うのではないでしょうか。

 知らない方向けに説明すると、立原幸隆は、尼子再興の際、山中鹿介とともに毛利と戦った立原久綱の兄。幸隆は晴久の元で奉行として活躍し、義久の代でも最後まで尼子家に忠誠を尽くし、本田家吉や大西高由らとともに、安芸長田まで義久三兄弟に随行したとされている。

 勘の良い方は気づいて頂けたでしょう。立原幸隆が1560年に亡くなったとするなら、毛利に降伏した後(1566年)、義久達に随行した立原備前守幸隆って誰やねんと。

 明らかにこの本やらかしてる。ただの誤植なら誤植で済むんだけど、そうでないなら、この本全体の信憑性が気にかかってくるよね。

 この本、裏表紙でもやらかしてるから、ただの誤植だといいんだけどね。

景虎→○高虎)

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 著者の寺井毅氏は城郭研究の方だから、歴史には元々詳しくはないのかもしれない。

 参考にする際は多少注意が必要かもしれないけど、載ってる城郭は81種と多いので、「尼子関連の史跡巡りがしたい!」という方にはガイドブックみたいに使えると思うので、オススメ。