長久手古戦場
過去にTwitterで公開したやつだけど、見辛いと思うので、こちらにもまとめます。
4月上旬に花見目的で行ったので、桜が満開の時のやつです。
じゃあ、さっそくいきますか。
リニモの「長久手古戦場」駅から出てすぐに、長久手の合戦の説明と家紋が書かれたモニュメントが見えてくる。結構オシャレ。一つ一つ違ってて、簡単な説明も小さく書かれてるので、ここも注目してみよう。
そして駅から5分も歩けば、古戦場公園に着けるよ!
古戦場公園内の桜はこんな感じ。
ここの公園内には長久手市郷土資料室があるよ。でも、ここは6月から休館して新館を作るんだって。新館が完成するのは令和4年度になるそうな。
ここで、パンフレットを入手して、場所とルートを確認。
長久手古戦場公園→武蔵塚→血の池公園→長久手城趾→御旗山→岩作城址→色金山→安昌寺→首塚→教圓寺のルートで行ったよ。一応、これで主要な史跡は押さえてるけど、さらに木下勘解由塚や堀久太郎秀政本陣地跡を訪れるのが、全制覇ルートね。
一応、参考までに…
ここ、長久手古戦場公園には勝入塚と庄九郎塚があるよ。池田恒興とその嫡男元助のお墓だね。仏ヶ根の決戦で恒興は永井伝八郎に、元助は安藤直次に討たれたとされている。
二つは少し離れて、公園内の片隅にひっそりと建ってる。この辺りだけ静謐な雰囲気。
公園から出て、しばらく歩いて武蔵塚の方へ。武蔵塚は恒興の娘婿、森長可(通称「鬼武蔵」)の墓。ここも桜が綺麗。鬼武蔵もこの桜に少しは癒されてたりするのかな。
この武蔵塚には「傷や汚れをつけないで!」という注意書きが貼ってある。鬼武蔵の眠るところを荒らすなんて、とんだ勇者だな。いるのかな、そんなやつ…
武蔵塚の次は血の池公園へ。名前から物騒だけど、これは鬼武蔵のヒャッハーが原因ではなく、徳川方の武将が血のついた武器を洗った池があったことから来てるらしい。
中は普通の公園。桜も綺麗だよ。
そこからちょっと行くと長久手城趾。ここはちょっとした広場ぐらいの広さ。
ここの城主加藤太郎右衛門忠景は長久手の合戦の際、岩崎城に来ていて、そこで戦死したのだそう。岩崎城主丹羽氏次の姉が妻だったことに起因してるらしい。
墓にはまだ新しい花が供えられていて、地元に愛されているのがわかる。
そこからしばらく歩くと、次は御旗山。山というよりかは神社。階段を2階分ぐらい登れば頂上に行けるレベル。
家康が頂上に金扇の馬標を立てたとされている。
さて、ここからはしばらく歩くよ。20分ぐらいかな。ひたすら北西へ向かう。
すると見えるのが岩作城址。ここは市役所の前に石碑があるだけ。
さぁ、次だ。本当は石作神社も行ったけど、人がいたので写真は撮ってない。岩作城址から色金山までの通り道なので、是非ここも立ち寄ってみて下さい。
そして、この史跡ルートのメインの一つ「色金山」へ!
中は広めの公園みたいな感じ。茶室もあって休憩もできるよ。自然がいっぱいで、展望テラスからの景色は絶景。
ここには家康が軍馬に水を飲ませたという池があったらしい。
ここまで来たら後は駅に戻るだけなので、見逃した史跡を巡ろう。
色金山のすぐ近くには安昌寺が。ここは、合戦後に戦死者を手厚く供養したという雲山和尚という方がいたのだそう。
はい、次は「首塚」。雲山和尚が戦死者の屍を集めて塚を築き、手厚く葬った跡と言われている。
で、最後になるのが「教圓寺」。家康がここで戦勝祈願したのだそう。
これで主要な史跡ルートは制覇。木下勘解由塚と堀久太郎秀政本陣地跡はかなり離れてるので、体力ある方か、もしくは車で行くのが正解かな。
ほぼ街中を歩いてまわることになるので、歴史へのトリップ感は薄いけど、豊臣(織田)・徳川好きは楽しめると思う。どこも桜が綺麗なので、花見にも是非ご検討を。