カモ歴史日記

史跡巡りや戦国考察など

安芸高田市の史跡巡り

安芸高田市歴史民俗博物館主催のシンポジウムに参加するため、安芸高田市に行ってきました。

シンポジウムは午後からなので、午前中はフォロワーさんに安芸高田市内の史跡を紹介してもらいました。

最初に行ったのは正明寺。


今は小さなお堂があるだけだけど、この山にある古城の守護として、尼子義久が寺を再建したとのこと。この頃は捕虜から家臣になった頃だろうから、それでかな。

奥まで行ってないので詳細は不明ですが、説明の通りであれば、古城跡があるのかな?気になるけど、わかりませんでした。

お堂の中は金ピカの仏様がいらっしゃいました。軽く見回したけど、義久に関連する物は見つからなかった、残念…。
正徳時代の帳以外からは義久と関わりがあることはわからないし、もっと説明があれば良かったんだけどな…。

その次は尼子屋敷跡。
正明寺から少し行ったところにありました。


案内看板に従って進んでいくと、広いところに出ます。



石碑と説明看板があって、今いる場所は家来屋敷跡と判明。
上に行こうとすると、金網が張り巡らしてあって中には入れなさそうでした。もしかしたら入れるところがあるかもしれないけど、無理に入るのはどうかと思って諦めた。

ちなみに東屋があるけど、そこには何故か鹿の頭蓋骨が飾ってあった。頭に某七難八苦がチラついたけど、気のせいだよね…。

次は尼子三兄弟ゆかりの墓。

ここに書かれているように、たぶん随従した重臣の墓じゃないかなとは思う。
↓に誰の墓なのか推測した記事があるので、一応参考までに。
https://camonambam.hatenablog.com/entry/2019/11/03/171451

正明寺は案内看板が極端に少なかったけど、ここは墓に辿り着くまでに案内看板がたくさんあってわかりやすい。





中央にある石碑は新しくて立派だけど、周囲の宝篋印塔は寄せ集め感がすごい…。明らかに下足りないんだけど、どこに行ってしまったんだ…。


墓のすぐ下には屋敷跡があったそう。現代の庶民感覚だとめちゃくちゃ広いなぁとか思ってしまう。

次は湯原弥ニ郎の腹切岩。吉田郡山の戦いで尼子方で戦い抜いた勇将ですね。



黒々とした岩だけど、宗綱の無念とかが残ってたりするのかな。怖いからあんまり想像したくはないけど。
フォロワーさん曰く、この隣にはかつて尼子温泉という名所があったそうな。温泉があるだけでなく、日本庭園があって、バーベキューとかもできるような場所だったらしい。今も残ってたら良かったのになぁ…。場所的には毛利のお膝元だけど、尼子好きが集まりそう。

最後に寄ったのは池ノ内古戦場跡。



この池の近くで起こったから、そういう名称なんだとか。
とはいえ、石碑がちょこんと設置されているだけだから、なかなか気づくのも難しい。

これで時間が迫ってきたので、吉田郡山市歴史民俗博物館に行ってから、シンポジウムに行きました。シンポジウムは一応有料だったけど、入館料払えば実質無料でした。
堀切丹夫さんのドローン映像から始まり、吉田郡山城のお話と月山富田城の考古学的研究の成果を聞くことができる、大変充実した講演でした。

おまけの厳島
(尼子は関係ないけど、行ってきたので)

厳島合戦の地、要害山。






本当にちっちゃい砦でびっくりした。

ロープウェイに乗って弥山にも行ってきました。





山頂からの景色はやっぱり最高でした。

なかなか行けないところをたくさんまわれて楽しかった2日間でした!また来年も中国地方に行けたらいいなぁ。