刈谷城跡とその周辺
今日は刈谷城跡(亀城公園)とその周辺の史跡を探索してきた!
刈谷城跡に行くには名鉄刈谷市駅からか、もしくはJR逢妻駅などから行くと近い。
刈谷城自体は跡しか残っていないけど、CGによる復元がネット上や、歴史資料館で販売しているDVD(1000円)などで確認できる。下の写真は十朋亭内にあった模型。
刈谷城跡は今は亀城公園という名前の公園になっており、本丸跡の石碑などが置いてある。
公園内には本丸跡の石碑以外にも、松本奎堂の歌碑や十朋亭という建物があって、十朋亭内には刈谷の史跡に関するムービーが見られる。入場も無料。復元模型もここの中にあった。
亀城公園から少し出たところには、「トヨタ」を作った豊田佐吉の胸像がある。
本来は先に行くべきだけど、ここから郷土資料館の方へ向かう。
郷土資料館も入場無料。昭和のミシンやおもちゃ、家財道具などが展示されている。ここでパンフレットと地図を入手。
次は学校の方へ行き、大手門跡を確認。
そのすぐ近くには文札館跡。藩士の子弟教育のために設立されたものだとされている。
お次は、少し歩いて「椎の木屋敷跡」の方へ。ここは徳川家康の生母、於大の方が松平広忠から離縁した後、しばらく滞在したとされている場所。整備されており、トイレや休憩所も用意されている。
ちなみに於大の方に所縁の場所として、於大通りというものがある。刈谷市駅から亀城公園へ向かう途中の道がそれに当たる。
椎の木屋敷跡の次は、「下町常夜灯跡」。昔は刈谷町と熊村の境目だったらしく、これが目印だったそうな。
次の「札の辻跡」も本町と中町の境目だった場所。また、寺横町と南横町とも交わって辻になっており、その北西に高札があったことから、その名前で呼ばれたとされている。
次は町口門跡。
ちなみに緒川口門跡に関しては、目印となる碑などは建っていない。恐らく今は駐車場になっているところ付近だろうとは思うんだけど、写真は撮ってない。周り民家だったし…。
町口門跡と緒川口門跡の間には、「松本奎堂碑」がある。こっちは旧屋敷跡。
しばらく歩いて「市原常夜灯」へ。ここは民家っぽいところに、さらっとあるのでわかりにくい。
次は「中島秋挙句碑」。中島秋挙(1773〜1826)は刈谷藩士の子として生まれ、諸国を放浪し俳諧三昧の生活をしていたとされる。「夜わたしの 今に声あり 華さかり」の句が刻まれている。
最後は市原稲荷神社。そこそこ大きくて、綺麗な神社。お守りとかおみくじも売ってる。今日は夕方に行ったので人もいなかったけど、休日はそれなりに賑わうのかな?
ここからは駅に戻る。途中にも史跡を発見。
宍戸弥四郎生誕の地。宍戸弥四郎は松本奎堂らとともに尊皇倒幕派の天誅組となったとされている人物。ここ以外にも天誅組関連の史跡が集まっているようなので、そこをまわるのも楽しそう。
これだけまわっても2時間半ぐらい。ただし夕方になってしまったので今日のところはこの辺で。
ちなみに刈谷城跡とは別に、刈谷古城というのもある。刈谷城を作った際に廃城になったものらしい。こっちも是非行ってみたい。
下は時代別の刈谷城周辺の地図。