カモ歴史日記

史跡巡りや戦国考察など

竹生島奉加帳 富田衆まとめ

 自分用に竹生島奉加帳の富田衆の情報をまとめておく。

 米原正義先生による富田衆の定義は「富田城詰めの諸将」であり、「直臣で奉行」。

 岡崎英雄氏の富田衆の定義は「尼子直轄地から扶持を受ける直臣」、出雲衆は「郡代官より米の廻送を要する家臣」。

  今岡典和氏の「戦国大名尼子氏家臣団に関する一考察」によれば、彼らは室町期以前の史料には殆ど表れず、戦国期になって頻出し、尚且つその多くは奉行人として尼子家が発給する文書の中に署判しているとのことである。

 

 竹生島奉加帳に書かれた武将の総数は37。武家の数は26。

 

 書かれた人々を武家ごとに整理すると、以下のようになる。

池田氏(四郎次郎)

・今津氏(藤兵衛尉)

・宇山氏(大蔵丞、弥次郎)

・亀井氏(藤左衛門尉国綱)

・河本氏(左京進久信)

・河副氏(右京亮)

・古志氏(六郎左衛門尉)

・雑賀氏(豊前守)

・高尾氏(備前守、新右衛門尉)

・高来氏(宗三郎)

・高橋氏(大蔵丞)

・立原氏(備中守、次郎左衛門尉幸隆)

・中井氏(助右衛門、対馬守秀直、四郎兵衛尉)

・疋田氏(左衛門尉)

・福瀬氏(左衛門尉)

・福頼氏(助四郎、右馬亮、又七)

・松浦氏(助次郎)

・目賀田氏(三郎右衛門尉)

・森脇氏(治部丞久家)

・安井氏(四郎左衛門尉)

・屋葺氏(七郎兵衛尉幸保)

・山佐氏(五郎左衛門尉、左衛門尉)

・山中氏(三郎兵衛)

・湯原氏(次郎右衛門尉幸清、弥次郎、又右衛門尉、左馬亮)

・横道氏(三郎左衛門尉久宗)

米原氏(左馬亮)

 また、上には含めていないが、奉行人として亀井太郎左衛門安綱がいる。