カモ歴史日記

史跡巡りや戦国考察など

安芸高田市の史跡巡り

安芸高田市歴史民俗博物館主催のシンポジウムに参加するため、安芸高田市に行ってきました。シンポジウムは午後からなので、午前中はフォロワーさんに安芸高田市内の史跡を紹介してもらいました。最初に行ったのは正明寺。 今は小さなお堂があるだけだけど、…

尼子氏関連史跡巡り

久しぶりのブログ更新。 前日に尼子フェスへ行ってきたので、そこで合流したフォロワーさんに尼子氏関連の史跡に色々連れて行ってもらいました!神西城麓にある十楽寺。 神西元通の代に再興されたみたいですね。古記録はほとんど残ってないみたいだけど、神…

中井家まとめ

中井綱家や久家については個別にまとめを作ったけど、中井家全体はそういえば作ってないなと思ったので、まとめてみました。 中井対馬守秀直 「竹生島奉加帳」に富田衆として記載あり。 「清水寺文書」において「吉筑以憤中井対馬守ヘ本物返…」とあり、吉田…

最近の心境

最近よく思うんだけど、やっぱり私って“普通”じゃないんだなぁ。 正直それは数年前からわかっていたことだし、改めて何か劇的な出来事とかがあったわけではないんだけど、色々な本を読んだり、ちょっとした経験を経て再認識した。 とにかく私って知識を得る…

資料の中に見られる富田衆

2月12日は尼子晴久の誕生日ですね! とはいえ、晴久に関することで書けそうなネタが思いつかなかったので、今回はタイトル通り、尼子家家臣の富田衆に関してです。 晴久の命日(12月24日)に公開した記事で、河本家が富田衆としては数少ない尼子家を見限った…

座頭角都とは何者か?

久しぶりの更新です。晴久の命日だから何かしたいという思いで、発想は結構前からあったこちらを書き上げることにしました。晴久の命日とはあんま関係ない気もするけど、細かいことは気にしない。 さて、座頭角都についてですが、この人物に関してわかってい…

近況報告

Twitter、ブログ共に完全に停止して随分と経ちますが、一応生きてはいます。生きてはいるのですが、もう3ヶ月以上碌に歴史に触れることなく日々を過ごしております。 理由は一言で言うと、現在鬱状態に陥っているからです。とはいえ、最近はある程度落ち着い…

岐阜関ヶ原古戦場記念館と垂井城

岐阜県関ヶ原にある「岐阜関ヶ原古戦場記念館」と垂井に行ってきました! 記念館にはリニューアルされてから初めて行ったのですが、以前とはまったく違っていて、関ヶ原の観光部門が本気を出してきた感がひしひしと伝わってきました。 外観からしてかっこい…

尼子晴久の没年について

本日、2月12日は尼子晴久の誕生日だとされています。そのようなめでたい日に投稿するのが「没年について」というのはいささか不謹慎な気もしないではありませんが、いまだに間違った没年が流布される事例もある以上、やるべきだと思った次第です。 とはいえ…

長谷寺に奉納された中井久家の絵馬に関して

8月29日は中井久家の命日だとされています。去年は忙しくしていたのでスルーしてしまいましたが、今年は久家に関する記事を投稿しようと心に決めておりました。 とはいえ、久家の生涯については以前別記事で書いているので↓ https://camonambam.hatenablog.c…

中井綱家の魅力

7月12日は中井綱家の誕生日! 推しの誕生日とあっては、私もテンションが上がってしまいますね。とはいえ昨年同様、言葉で祝うだけではなんとなく物足りない気がするので、私の考える中井綱家の魅力をお伝えしようかなと思います。 まぁ歴史学者でもない、た…

打吹山と長谷寺

前日の大山に続き、鳥取県倉吉市へ。 この日は去年からの悲願だった「長谷寺」へ行ってきた! 長谷寺へ行きたかった理由…それは我が推し、中井久家が奉納した絵馬がここにあるから!存在を知ってから行きたくて行きたくて仕方なかったので、この日行けて最高…

大山寺

先日、悲願だった大山寺へ行ってきた! 大山寺へは米子駅から出ているバスで行きました。大体50分ぐらいで、終点の大山寺に着きます。 着いた先にあるのはナショナルパークセンター。シャワーやロッカー、ベンチ、自販機など、登山やウィンタースポーツのた…

多賀大社と彦根城

遅ればせながら、1月9日に初詣に滋賀の多賀大社へ行って来ました! 8月に滋賀の尼子へ行った際、駅名に「多賀大社前」があったのを見て以来ずっと行きたかったし、伊邪那美と伊邪那岐が祀られている由緒正しい神社でもあるそうなので、新年にふさわしいかな…

吉田郡山城と尼子久幸の墓(12/26)

昨日の夜の段階で降っていた雨は朝になっても降り続いていました。これはもうダメだなぁと思ったけれど、そもそも今回の旅の目的は、晴久の命日に菩提寺・墓を訪問することと安芸高田市歴史民俗博物館へ行くことの二つだったので、安芸高田市に行かない訳に…

十神山城と米子城(12/25)

12/25…世間はクリスマスで盛り上がっていましたが、私は一人史跡を満喫していました。この日の内に米子から広島まで移動しなければならなかったんだけど、昼過ぎから移動しても間に合うようだったので、午前中は安来駅と米子駅の周辺を探索していました。 最…

安来史跡巡り(12/24)

12月24日は尼子晴久の旧暦の命日。ということで、菩提寺である宗見寺と月山裏にある伝尼子晴久の墓(+他にも色々)に行ってきた! 晴久は尼子にハマった最大のきっかけであり最愛の推しだから、これぐらい当たり前だよね!むしろこんな幸せなこともないよ! 今…

小田原城

久しぶりの史跡巡り。今回は小田原城に行ってきた! 駅に早雲像があることからも、地元に愛されてるのがわかる。(駅の示す小田原城行きの出口とは逆方向にあるのが何とも言えないけど…) 今回はちゃんと正規の登城ルートから行きました。最初に馬引門に入って…

杵築同行者と尼子三兄弟御供との比較

以前書いた二つの記事「杵築同行者 陰徳太平記と雲陽軍実記の違い」と「義久三兄弟の御供衆について」を見比べていて気付いたことがあったので、それについてまとめてみようと思う。 camonambam.hatenablog.com camonambam.hatenablog.com まず、陰徳太平記…

義久三兄弟の御供衆について

1566年に月山富田城に篭っていた尼子側が毛利に降伏し、義久・倫久・秀久の三人が安芸長田まで連れていかれることになると、杵築までは多くの家臣が随行していったが、それ以降は限られた人数だけしかついていくことを許されなかった。 その面々を以下にまと…

福山肥後守 まとめ

現時点での福山肥後守の情報まとめ。何かわかり次第、随時更新します。 福山肥後守綱信 生年不詳。1565年没。 息子に福山源五郎がいる。 元々は吉田筑後守に仕えていたが、筑後守が播磨で討ち死にした後に晴久から領地をもらった。天文年間中に尼子十砦の一…

吉田八郎左衛門 まとめ

現時点での吉田八郎左衛門の情報まとめ。何かわかり次第、随時更新します。 吉田八郎左衛門義金 直景、久隆とも。兄弟に吉田筑後守、左京亮、三郎左衛門がいる。嫡男は四郎次郎。 生年不詳。没年は1570年もしくは1571年。 第二次月山富田城戦においては、弟…

吉田家・福山家 情報まとめ

吉田家 六郎左衛門清秀 四郎貞秀 筑後守ー伯耆の守護。1476年頃、中井対馬守に宇賀荘を売却した(清水寺文書)。播磨で討ち死に。 左京亮ー筑後守の弟であるが、祟り(感染症か?)によって子息が亡くなった筑後守の養子となる。松山において三村家親に討た…

杵築同行者 陰徳太平記と雲陽軍実記の違い

尼子義久たち三兄弟が1566年に毛利に降伏した後、杵築に連行されることとなったが、これに同行した家臣の情報が「陰徳太平記」と「雲陽軍実記」で異なっている。その違いは、そもそもの書かれた人数から家臣の顔触れまで及び、「雲陽軍実記」には書かれてい…

中井久家 まとめ

現時点での中井久家の情報まとめ。何か情報がわかり次第、随時更新します。 中井久家(1523~1605年) 陰徳太平記では久途(ひさみち)との表記もあり。通称は平三兵衛(軍記物語では平蔵兵衛、平蔵表記もあり)。 伝承では1523年生まれとされる。中井綱家の嫡男…

近況報告

twitter、ブログともに更新停滞気味ですが、私は元気です! 実は今私は留学で海外にいっています。日本にいません。今までちょっとゴタゴタしてて、あまり落ち着く暇がなかったのです。まぁ中井綱家の情報をまとめるぐらいには余裕あったけどね。 そもそも私…

滋賀尼子巡り 感想ver.

さて、感情を極力抑えた真面目な滋賀尼子巡りの記事は書いたから、感情爆発verも書くか。 ここからは振り切れたテンションでお送りするので、真面目なのをご希望なら読まない方がいいです。 ちなみに真面目なやつ↓ https://camonambam.hatenablog.com/entry/…

尼子館と勝楽寺と藤堂高虎関連

昨日(8月12日)に滋賀県の尼子駅周辺を探索してきた。1番の目的は尼子館だったけど、最終的には藤堂高虎関連の史跡と佐々木道誉に所縁のある勝楽寺にも行ってきた。 尼子館は尼子駅から歩いて15分から20分ぐらいのところにある。今は土塁公園という名前になっ…

竹生島奉加帳 富田衆まとめ

自分用に竹生島奉加帳の富田衆の情報をまとめておく。 米原正義先生による富田衆の定義は「富田城詰めの諸将」であり、「直臣で奉行」。 岡崎英雄氏の富田衆の定義は「尼子直轄地から扶持を受ける直臣」、出雲衆は「郡代官より米の廻送を要する家臣」。 今岡…

歴史好きの多様さ

歴史好きって一言で言っても、色々いるなーと、常々、特にTwitterやってから感じる…。 アカウント作ったのがそもそも2月とかなので、まだ半年ぐらいだし、関わってる人も少ないけど、個性というか色々なタイプの歴史好きがいるなってのは思った。 私は史跡巡…