カモ歴史日記

史跡巡りや戦国考察など

このブログをやっていくにあたって

 私がなぜ、尼子と平塚・戸田という関わりもなければ、時代も武家も全然違うふたつを愛でてるのかというと、単純に好きだからというのと、彼らに対する私の疑問や知識欲に答えてくれるような本や研究者の方がいないからなんだよね。

 尼子家は地元に愛されてるし、研究書もそれなりに存在するんだけど、雲陽軍実記や陰徳太平記という軍記物語が、尼子家の歴史の大部分を占めているから、その歴史の信憑性となると、うーんって思えてしまう…。そんな現状を打破すべく長谷川博史先生が一次資料中心に尼子家の研究をされたんだけど、家臣のこととなると、まだまだわからないことだらけ。

 私が知りたいのは尼子晴久時代の家臣についてだから、まだこの分野は空白が多い部分だといえる。それならいっそ誰かが調べてくれるのを待つよりも、私が調べた方が早くない?というのが、今の私の心境なんだよね。

 平塚・戸田もそう。誰もやってくれないから、それなら私がやればいいかって思ってしまっただけ。

 

 尼子裏面史の作者であり、郷土史家であられる岡崎英雄氏は、中井家の末裔として生まれたものの、当時の研究では中井家について全然判明していないという事実に業を煮やして、自身で中井家の歴史を調べたと述べている。そして、『尼子裏面史.続』の中で、そういう歴史の空白部分を埋めるのは、権威や立場がある研究者や学者よりも、歴史好きの馬鹿共がやればいいとも言っている。

 実際、歴史の大局を調べるのは学者や研究者の方でないといけないと私も思う。でも、歴史においてそれほど比重が高くない人物の研究であれば、権威も立場もない、自由で好き勝手にやれる素人の方がかえっていいのではないかと思う。

 なら、私もその歴史馬鹿の一人として、少しずつでもいい、調べてみるかと思った次第。

 とはいえ、私は戦国に関してはただ趣味で愛でてるだけの素人。漢文すら十分に読めやしない。まだまだ岡崎英雄氏のような、米原正義先生という戦国研究の権威からも一目置かれた存在には程遠い。

 それでも何かしたい!なら、今自分にできることから発信していこうと思い、このブログを始めた、というのが現状。

 

 だから、好きなものがバラバラなのも許して頂きたい。ただただ好きなものに対して実直なだけなので…。好きになったら「知りたい!」「少しでも近づきたい!」というのが、止まらない人なんだ。

 大学で資料の向き合い方とか資料の収集方法とか知ってしまったからね。元々好きなものに対する情熱が、常人より強いもので、止まらないんだよ…。もう楽しくて楽しくて仕方がない。

 まぁ、そんな変な奴のブログなので、至らぬ点も多いと思いますが、ダラダラ見守って頂ければ幸いです。

 

 でも、ブログのいい点としては、タグで分類できるし、題名でどんな内容かある程度わかるところだよね。興味なければ見なきゃいい!ができる。ツイッターだと嫌でもタイムラインに流れてくるからね。それがないって大きいよ。好き勝手書けるからね。文字数制限無いし、写真も貼り放題だし。

 今はブログ始めて良かったと心から思えるよ。もっと早くに始めるべきだったかも。