カモ歴史日記

史跡巡りや戦国考察など

刈谷城跡とその周辺

今日は刈谷城跡(亀城公園)とその周辺の史跡を探索してきた! 刈谷城跡に行くには名鉄刈谷市駅からか、もしくはJR逢妻駅などから行くと近い。 刈谷城自体は跡しか残っていないけど、CGによる復元がネット上や、歴史資料館で販売しているDVD(1000円)などで確認…

尼子好きになったきっかけ

そういえば、散々尼子のことばかりを言ってるけど、好きになったきっかけって言ってないなと思ったので、そのことについて。 尼子好きになったきっかけは戦国BASARAの尼子晴久を好きになったことが一番大きい。というか、そもそも戦国好きになったきっかけが…

今後やりたいこととやる理由

中井家ばかり言っていたけれども、そろそろ他の家臣達も調べ始めようかな。 というのもね、中井家の情報はそれなりに集めた方だなと思うし、何より知識が増えるとさらに疑問が湧いてきて、知りたいことも増えるんだよ。もう中井家だけじゃ、物足りないんだ!…

「竹生島奉加帳」と「尼子家旧記」の中井家

資料の中の中井家シリーズ、今回は「竹生島奉加帳」と「尼子家旧記」に関して。 竹生島奉加帳は1540年当時の尼子家家臣団を知ることができる貴重な資料。 この中では中井家は ・中井助右衛門尉 ・中井対馬守秀直 ・中井四郎兵衛尉 の3人の名が載っている。 …

尼子分限帳に関する個人的見解

https://camonambam.hatenablog.com/entry/2019/07/12/221940 以前、尼子分限帳に関する岡崎英雄氏の見解をまとめたので、今度は自分の考察とか意見とかをまとめてみる。 正直なところ、尼子分限帳の信憑性に関して私はまだまだ疑っている。以前も書いた川副…

御堂山・砥神山(丹野城址、三月田古墳)

今日は久しぶりの晴れの休日だったので、蒲郡にある御堂山と砥神山に行ってきた。 ここはアクセスがよく、電車だけでいける。自家用車がない私には有難い。 さっそく駅から歩いて、三月田古墳へ。 ちょっと小高い丘に2号、3号と並んでいる。1号はもう存在し…

「尼子氏分限帳」の信憑性について

尼子氏分限帳というと、長年、資料としてはいまいち信用できないものだとされているが、これに関して『尼子裏面史』で岡崎英雄氏が思わず「おっ」と思わせる解説をしてたので、軽くまとめてみる。 そもそも、この資料が怪しいとされている原因は、尼子研究に…

三ヶ根山と殉国七士の墓

今日は西三河の数少ない山である、三ヶ根山に行ってきたよ!ここは紫陽花が有名で、特に今はかなり見頃なんだ。 大半の人は山頂付近の駐車場に停めて、紫陽花ロードと殉国七士の墓を見るぐらいなんだけど、我々(私と友人)は登山口から登ってまいりました。 …

『新雲陽軍実記』内の中井家

『尼子物語』はやったので、次は『雲陽軍実記』の中の中井家について。 まず、中井という苗字の人物を列挙していくと ・中井駿河守久包 ・中井平蔵(平三兵衛) ・中井兵衛* ・中井助右衛門 ・中井善左衛門 ・中井與次郎 以上6名が登場。(平蔵と平三兵衛と2種…

『尼子物語』内の中井家

『尼子物語』内で書かれた中井家関連のことで、気になることと考察とか。 まず、気になったのは中井久家こと中井平三兵衛の名前の表記。『尼子裏面史』や『尼子氏関連武将事典』では、平“三”兵衛と書かれていたのに対し、『尼子物語』ではそう書かれてたのは…

『尼子物語』と『新雲陽軍実記』感想

しっかりとではないけれども、一応一通りは2冊とも読めた。 『尼子物語』こと陰徳太平記は、尼子の歴史を最も忠実に表現した本だと言われてるだけあって、わかりやすい。とはいえ、毛利側からの視点なので、多少は警戒すべきなのだろうけど…。 『新雲陽軍実…

雲陽軍実記と陰徳太平記とか、尼子が好きな理由とか

とうとう図書館でハーベスト出版の『新雲陽軍実記』と『尼子物語』を借りてきた。 『尼子物語』は陰徳太平記の尼子氏関連の部分だけを抜き出したもので、『新雲陽軍実記』は言わずもがな、雲陽軍実記の現代語訳。 尼子家を知る上でなくてはならない2冊ではあ…

東谷山と白鳥塚古墳

今日は名古屋の最高峰、東谷山に行ってきたよ!あと、帰り道に少し白鳥塚古墳も寄ってきた。 この山、何よりも嬉しいのが、高蔵寺駅や中水野駅から行ける場所だということ。だから、バスの時間とか気にせず、気楽に行くことができるよ。 今回は『新 こんなに…

『尼子氏の城郭と合戦』高守山城

『尼子氏の城郭と合戦』という本が、2018年に出ていたことをつい先日知ったので、さっそく買ってきました。 まだパラパラ流し読みしただけなので、読み込めてはいないんだけど、ちょっと気になるところがあったので、まとめようかなと。 本自体は、第一部で…

長久手古戦場

過去にTwitterで公開したやつだけど、見辛いと思うので、こちらにもまとめます。 4月上旬に花見目的で行ったので、桜が満開の時のやつです。 じゃあ、さっそくいきますか。 リニモの「長久手古戦場」駅から出てすぐに、長久手の合戦の説明と家紋が書かれたモ…

このブログをやっていくにあたって

私がなぜ、尼子と平塚・戸田という関わりもなければ、時代も武家も全然違うふたつを愛でてるのかというと、単純に好きだからというのと、彼らに対する私の疑問や知識欲に答えてくれるような本や研究者の方がいないからなんだよね。 尼子家は地元に愛されてる…

中井綱家 まとめ

中井綱家についての現時点での情報まとめ(随時更新します) 中井綱家(久包)(1496-没年不詳) 1496年7月12日生誕。秋上文書寄進状内に「生年丙辰歳七月十二日誕生是也」との記載あり。 中井家清の子か。通称は助右衛門(助左衛門・助衛門表記もあり)、官名は…

長篠

今日は長篠行ってきた! ちょっと寝坊したので、着いたのは昼過ぎになってしまったけど…まぁそんなことを気にしてはいけない。さっそく行くぞ! 電車で長篠城駅に行けば、看板がお出迎え。 まずは情報収集。史跡保存館へ行こう! 出入口のところに鬼瓦と強右…

『殉死の構造』オマケ

そういえば、『殉死の構造』に山中鹿介の子孫について載ってたので、軽く触れておこうかな。 山中又兵衛氏連 山中鹿介の玄孫。細川光尚の近習、200石をとった。1650年に亡くなった光尚に殉死した。大阪落城後、牢人となっていたが光尚に召し出され、江戸に下…

『殉死の構造』感想と考察

講談社学術文庫の山本博文の『殉死の構造』(2008年)を読んだので、感想と尼子晴久の殉死者について軽く考察を。 内容としては、江戸時代における殉死について、その人物の立場や殉死の理由を見ていくことで、それがどのような意味であったのかを探るというも…

『戦国人名辞典』戸田・平塚関連

今回は戸田勝隆・勝成兄弟と平塚為広周辺の人。その中でも特に気になる人を中心に。 大谷吉継(紀之介、刑部少輔、従四位下) 紀之介と自署のある花押は、刑部少輔とあるものと同じだが、名は◻︎次と読めるだけではっきりしない。流布書には吉隆ともしてある。…

六所神社と岡崎公園

今日は東岡崎の方まで行ったから、岡崎城周辺を散策してきたよ! 岡崎といえば徳川家康生誕の地。だから家康関連の史跡がかなり集まってるよ。 最初に行ったのは六所神社。東岡崎駅から南に出て10分も歩けば着く。 赤い鳥居がカッコいい。何か既視感があるな…

『戦国人名辞典』戸田家

じゃあ、次は戸田家! といっても徳川に仕えた戸田家ではなく、関ヶ原において西軍について戦った戸田勝成、勝隆達の方ね。徳川に仕えた方の戸田家はスルーで。 戸田勝成(半右衛門、武蔵守) 名を重政、勝重とも。勝隆の弟。はじめ丹羽長秀、長重に仕え、天正…

『戦国人名辞典』平塚家

まず平塚家から。 この本には平塚為広と平塚紀八、平塚三郎右衛門、平塚藤右衛門の4人が載ってる。 平塚紀八(ひらつか きはち):秀吉の馬廻、小田原平定後の天正十八(1590)年7月、某所の普請を分担(浅野家文書) 平塚為広(孫九郎、因幡守):秀吉馬廻。文禄元年…

『戦国人名辞典』感想

インターネットで集めれる情報に限界を感じてきたので、そろそろ専門書に手を出そうかなと思い、図書館で借りてきたよ! 昭和37年初版の『戦国人名辞典 増訂版』著者は高柳光壽と松平年一、吉川弘文館発行 何気なく手に取ったけど、大正解。織田・豊臣中心の…

八事山 興正寺

過去に行った史跡を一つ。 4月の終わりに行った愛知県 八事駅近辺にある興正寺。本当に八事駅から出てすぐにある。 都会の小さな山にあるお寺という感じ。少しだけどハイキングコースもあるよ。名古屋で少しハイキングしたいなって時にオススメかな。 さて、…

宮路山

今日は愛知県豊川市にある宮路山に登山に行ってきたよ! そもそも愛知県って県境にしか山がほとんどないんだけど、数少ない近場にある山、しかも初心者向けということで行って参りました。 今日はめちゃくちゃいい天気で、雲がほとんどない快晴!さすが私!…

はじめまして!

まず、このブログでは、私が訪れた史跡のことや戦国武将に関する考察、妄想などを色々と書き込んでいくつもりです。 更新はあまり頻繁にしないと思いますが、常に何か考えて生きている人間なので、たまに何か発信できればいいなぁと思っております。 私は愛…