カモ歴史日記

史跡巡りや戦国考察など

打吹山と長谷寺

 前日の大山に続き、鳥取県倉吉市へ。
 この日は去年からの悲願だった「長谷寺」へ行ってきた!
 長谷寺へ行きたかった理由…それは我が推し、中井久家が奉納した絵馬がここにあるから!存在を知ってから行きたくて行きたくて仕方なかったので、この日行けて最高に幸せになりました。

 倉吉駅からバスが出てるので、それに乗って打吹公園へ。打吹公園自体が元々、打吹城という城だったらしく、公園というよりは低山です。でも、かなり整備されているので、歩くのはへっちゃらです。私はこの日、長谷寺メインで来たので、打吹公園全体をまわったわけではないのですが、ガイドブック曰く、1時間ちょっとあれば公園をぐるっと一周できるようです。私の場合、長谷寺で話に夢中になり過ぎて、時間を押してしまったのがまわれなかった要因です。






 椿の平にはトイレ以外に、倉吉博物館や歴史民俗資料館があります。私が行ったのが祝日の次の日だったのでどちらも閉まってましたが、打吹公園に来たらついでにそちらに行くのもありかと。打吹公園自体、さくらの名所100選、森林浴の森100選日本の都市公園100選に選ばれていたりと、それなりにすごいところなので、自然を求めて気軽にハイキングに行くというのも良さそう。

 それでは、出発!椿の平から遊歩道を通って長谷寺へ行くルートで行きます。

 途中、鎮魂神社があるのでそちらも寄っていく。



 長谷寺まで真っ直ぐ行こうと思っていたけど、勝入寺へ続く分かれ道に来ると、せっかくなので見てみたいという気持ちが勝ってしまい、そちらへ先に行くことに。すぐ着くだろうと思っていたら、かなりの階段があった。迂闊に寄り道すべきではなかったなぁ…。





 勝入寺は池田恒興菩提寺だそう。長久手にある勝入塚(恒興が戦死したとされる場所)は行ったことがあるんだけど、まさかここで繋がるとは…。





 ちなみに、遊歩道から勝入寺へ来る道の途中に「音田喜美野」という方のお墓があった。説明碑もあったのだけど、所々しか読めないしネットで検索しても何の情報も出てこない謎のお方。家紋が四つ目結だったからホイホイされたけど、どういう方なんだろう…昭和時代の人みたいだけど…。わかる人がいれば教えて欲しい、ガチでわからん。





 元のルートに戻ると、越中丸という曲輪の辺りから石仏八十八箇所が始まり、それを横目に長谷寺へ向かうことになる。いつか西国八十八箇所巡りもしてみたい。



 また、その中に一際豪華な石仏があったのだけれど、それは大山寺から譲られたという下山大明神らしい。ここでも大山寺に関わるものを見れて満足。前日行ったからこそ、より感慨深く感じる。


 松尾芭蕉が読んだとされる俳句の石碑を通り過ぎれば、長谷寺到着!一年間ずっとここへ来たいと願った、待ちに待った長谷寺ですよ!そりゃテンションも上がっちゃうよ!





 とりあえず、本堂の周辺をぐるっとまわる。表門に置いてある看板を読むと、来年が1300周年じゃないですか!大山寺の開山1300周年には間に合わなかったし、来年五月にあるという「長谷寺開山1300周年記念祭」には是非行きたい!これを知ることができて良かった。知らなかったら、またスルーしちゃうところだったね。







 そして、本堂ーー!!!説明碑にある絵馬が!久家の奉納したやつ!!これが…これが見たかったんだよ!!
 中は古っぽいけど、柱に貼られたお札のせいでごちゃついて見える。それよりも、厨子や御本尊である十一面観音像はあるけど、いくら探しても絵馬がない…。

 張り紙を見ると「要予約」の文字!しまった…その可能性を失念していた…!ダメ元で当日の参拝を試み、電話すればOKとのこと。よかった〜〜無理なら何のために来たのかと絶望してたよ…。愛知から来た女子一人で参拝希望と言ったら驚かれたけど、それだけ絵馬が見たいという誠意は伝えられたかな。料金は複数で来た方がお得だけど、一人は一人で気楽だからいいんだよ!倍料金だろうが払ったるわい!
 ちなみに庫裡は階段を降りたところにあります。電話しなくても駐車場から行けば普通に庫裡を通る訳なんだけど、私はそんなこと知らなかったんじゃい。予約は張り紙の電話番号からすべきですが、当日でも住職が時間あれば全然いいそうなので、見たい方は手っ取り早く庫裡で直接お願いしましょう。
 ご住職と合流し絵馬堂へ。以前は鍵とかなかったそうですが、落書きや保存の観点から絵馬堂を閉鎖するようになったとか。実際修復されていない柱を見ると、まぁひどい有様ですこと。文化財を何だと思ってんだか…。落書きしたやつ全員にバチが当たればいいのに…。







 そんなことより久家の絵馬ですよ。絵馬堂入ってすぐに「白馬」「黒馬」と並んでた。尚、「黒馬」の標題が間違ってたらしく、両方「白馬」になっていたけれど、そこは温かい目で見守りましょう。
 どちらも1549年に奉納されたもので、長谷寺が所蔵する、現存する大絵馬の中では二番目に古い作品。願主は中井平三兵衛尉久家で、一対で奉納し順調な天候を祈願したものと伝えられている(尚、岡崎英雄氏はこの大絵馬の奉納を新宮党の所業を晴久に伝えるにあたっての覚悟を決めるためと考察している)。
 ちゃんと久家の名前が書かれていて感無量…!二度修繕されたとされているので、あの字も当時のものとは違うんだろうけど、それでも推しが存在した証拠を目の当たりにすれば感動しますよ。ちなみに二度目の修繕をした中井益蔵氏は中井家の末裔です。「黒馬」は元々、灰色で全身塗られていたらしいけど色が落ちちゃってて、ちょっと残念。この二つ合わせて、当時の金額で数百万円ぐらいはするみたいだし、やっぱり中井家がお金持ちだったのは確実と思っていいのかな。晴久から頼まれただけなら、そう考えるのは微妙だけどね。
 お目当てがそれだけだったとはいえ、他の絵馬も興味深かった。大抵は江戸時代以降に奉納されたものだけど、武者絵や巡礼の様子を描いた参詣図など様々なものを見ることができた。

 個人的に気に入ったのは「西国三十三観音霊場図」。写真は撮り忘れたから図録のだけど、西国(近畿地方)の霊場が載ってるガイドマップみたいな作品。見てて楽しいよね、こういうやつ。近畿地方を回転して見た図と思えばわかりますかね。やっぱり昔の地図でも琵琶湖はデカい。

 ちなみに「長谷寺の絵馬群」という図録は1000円で庫裡で買えます。平成23年に行われた展覧会のものらしいです。まだまだ在庫あるらしいので、興味ある方は買ってね⭐︎
 そんなこんなで絵馬堂にあった絵馬を全部説明を聞きながら見ていると、貸し切り状態だった本堂に人が来てた。本堂でお話しを聞いてると滋賀県から来た、これまたご住職の方らしい。ご住職二人の話を聞いてると、やっぱりお寺も色々大変みたいで、御朱印は集めているものの宗教自体に関心が薄い自分が申し訳なくなってくる…。とりあえずお葬式はしっかり挙げるべきだなと思った。

 滋賀から来たというご住職とは長谷寺御朱印を貰って、下におりるまでは一緒に行きました。長谷寺のご住職もだけど、自分の知らないことを知ってる人と話すのって刺激的で楽しい。たまに愛知にも出張で来てるらしいので、また会えるかもしれないね。一期一会とは言うけれど、どこかで繋がれたらよりいっそう嬉しいよね。
 近くにある賀茂神社でも御朱印を貰えるという情報をゲットしたので、このまま賀茂神社にも行く。打吹山の羽衣伝説に由来する井戸もあるらしい。







 ここはかなり綺麗なところだね。社務所も立派だったし、グッズもいっぱいあった。生憎、御朱印しかもらっていないのだけれど。

 御朱印を貰ったら賀茂神社のパンフレットを貰えた。それを読むと「兵火にあったが、天文年間に尼子晴久が再興した」とあった。さすが晴久、まさかここで晴久の文字を見ることができるとは…。こういうことがあるので寄り道はやめられないんだよね。
 しかし、長谷寺で話に花を咲かせ過ぎたため、そろそろタイムアップ。電車の時間に間に合わせないといけないため、これで撤退です。正直、めちゃくちゃ消化不良。まぁ来年も無理矢理にでも時間作って来るつもりだけれど、やっぱり名残惜しい…。

 バス停までの道にあった武家屋敷の看板だけ撮って、この旅は終了。久家の絵馬を見るという目標は達成できたものの、もう少し周辺も探索したかったなぁ。次回来るときは一日たっぷり倉吉観光に費やそう。半日では全然足りないや。
 とはいえ、私が昨年3月頃から来たかった大山寺、長谷寺に行けて心境としては大満足であります。ただし両方とも未練が残っているので、リベンジは絶対やる。とりあえず、それまでは体力作りと勉強に勤しもうかな。