カモ歴史日記

史跡巡りや戦国考察など

安来史跡巡り(12/24)

  12月24日は尼子晴久の旧暦の命日。ということで、菩提寺である宗見寺と月山裏にある伝尼子晴久の墓(+他にも色々)に行ってきた!

  晴久は尼子にハマった最大のきっかけであり最愛の推しだから、これぐらい当たり前だよね!むしろこんな幸せなこともないよ!

  今回の旅は安来駅で借りれる自転車を使って行きました。イエローバスの観光ループを使えば宗見寺と月山に行けるのはわかっていたんだけど、もう少し自由が欲しくてね…。結果、膝の激痛と闘うことになったけど仕方ない。

  宗見寺は安来駅と月山のちょうど中間ぐらいに位置していて、自転車でも1時間かからないぐらいで行くことができた。

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  看板発見!今年の3月に安来へ来た時はもっと黄色でド派手だったような記憶があるんだけど気のせいかな?まぁそれはいいとして宗見寺到着!

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  宗見寺に行くには軽い坂道を登っていく必要があるんだけど、その麓にはこんな石碑が。「石のきざはし数へつつ上れば飯生宗見寺 百貫堀は古城の要害 堅く坂嶮し」と書かれている。宗見寺は元尼子興久の館跡らしいから、それが関係してのこの文かな?

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  坂を上ると案内碑が見えるんだけど、そこには尼子晴久公の菩提寺ってちゃんと書いてある。この案内碑作ってくれた人ありがとう!これだけでも感動できる…!

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  そして、晴久の宝篋印塔だ!しかもめっちゃ新しいし綺麗!450回忌に建てられたならまだできて9年目かな(雲陽軍実記準拠なら7年目だけど、さすがに1560年没説を採用したと思いたい…)。

  特に花や線香などは供えられていなかった。せめて命日ぐらい…と思ったけど仕方ないのかな…。

  そして、ここで私は気づいた。花はともかく線香は自分が用意すれば良かったやん…と。この場はどうしようもなかったので念入りにお参りするだけしかできなかったけど、その後月山付近のショッピングセンターで線香、ろうそく、ライターの3点を購入。これで今後の墓参りにも持っていくことができるね。

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  話は逸れたけど、前述した通り かつてここは尼子興久の館跡だった。それを示すのは石碑一つのみだけど、この寺内の瓦に尼子の家紋である四つ目結があった。建物は新しいから後世加えただけかもしれないけど、かつてもそうだったのかなと思うと幸せな気分になれるね。

「歴代之墓誌」という石碑を読むと、天麟正壺和尚によって永正十二年十一月七日に開山されたとわかる。『尼子裏面史』によれば天麟正壺和尚が亡くなったとされているのが永正十二年十一月七日と、開山時期と日時が同一なのでどちらかは間違いかな?でも亡くなったことをきっかけに作られたとも考えられるよね。また、天麟正壺和尚は洞光寺や万松院を創建した人物でもあり、尼子家との関わりは深く、宗見寺が晴久の菩提寺になったのもそれが関係してそう。いつ、どんな経緯で晴久の菩提寺になったんだろ…。

 

  地図を見ると、このすぐ近くに加茂神社があるのがわかった。確か『尼子裏面史』に能義郡土一揆の戦勝記念に建てられたものだという神社が加茂神社だったというのを思い出した。もしかしたらこれかもしれないと思ったので、ついでに寄っていく。

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  あまり広くもなく、狛犬もかなり苔むしてたけど、神聖な雰囲気で個人的に好みな場所。後々調べたところ、やはり能義郡土一揆の戦勝記念に建てられたところと一致した。テキトーに行ったところだったけど、ビンゴだったみたい。さすが私。私、こういう勘は意外と当たるんだ。

  ちなみに宗見寺へ行く途中、このすぐ近くの山が独松山というのを知ってめちゃくちゃ行きたかったのだけれど、この前日が雨だったので朝の段階ではまだ地面が濡れてたんだよね。さすがにこの状態で行くのはよろしくないと判断して諦めました。何故行きたかったのかというと独松山はかつての高盛山であり、高盛山城は尼子十砦の一つともされていて、尚且つ私の推しである中井久家が詰めていた場所とも考えられているから。まぁもう場所はわかったからね、また来た時来れるようになった訳だしそれで良しとしよう。

 

  では、次は月山へ行こう!となったんだけど、どうせなら途中色々寄りながら向かおうと思い、能義神社に寄りました。

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  なんとなくで寄ったところなんだけど、実は出雲四大神の一つにも数えられている由緒正しい場所でした。さすが出雲…神の国…。通りで社が立派な訳だ。

 

  次こそ月山に行くぞ!と思ったけど、そういえば『尼子ハンドブック』に富田八幡宮っていう神社あったよなと思い出す。よし!そこに寄ろう!自転車が無ければ、月山からもちょっと遠いし、たぶん行こうとは思わなかっただろうけど、基本史跡なら何でも行きたいと思ってるからね。

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  雰囲気がすごくいい…!苔むした感じも好きだなぁ。

  主祭神応神天皇で、配祀神には天照大神、神功天皇仁徳天皇が祀られている。560年に創立され、元々は富田月山にあったそうだけど、保元年間(1156〜1159)に平景清が富田城を築くにあたって、この地に奉遷したと言われているそうな。今、月山山頂にある勝日高守神社と関わりがあるとは知らなかったなぁ。勉強になるね。

  そろそろ月山行こうと思ったのだけれど、他にも気になったところへ色々寄ったので排出〜。

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  三日月公園にある尼子経久像、そしてそれ越しの月山富田城!生憎の天気ではあったけど、この構図はお気に入り。
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  朝木茂翁顕彰碑。図書館の近くにあった。
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  現宗松寺。とはいえ特に史跡説明とかないので、ちょっとがっかり。旧宗松寺は毛利元秋の墓がある場所にあって、新宮党の菩提寺でもあったそうだから何かあると思ったんだけどなぁ…。

  お昼ご飯食べてから、ようやく月山裏の伝尼子晴久の墓へ。3月にも来た場所だけど、前回は富田城山頂からの下山ルートで行ってボロボロになったので、富田山荘脇の道路から行くルートで行きました。

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  宗見寺の方は綺麗過ぎて少しこれじゃない感あったけど、やっぱりこちらは雰囲気あるなぁ。ショッピングセンターで買った線香をあげて、お参りを済ませると、前行った時から気になってた殉死者の墓の数を数える。大小含めて14個かな(とはいえ自信はない)。殉死者の数からしても晴久が慕われてたのは明らかだよなぁ…と改めて思う。

  この時点で時間が結構ヤバくなってきてたので、そろそろ撤退しなきゃいけなくなったんだけど、まだ気になってる場所があったのでそこに行く。

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  そこというのは旧宗松寺跡。毛利元秋の墓の手前にあるんだけど、今は石垣しか残ってない。上でも書いたけど、ここはかつて新宮党の菩提寺だった場所。この近くには我が推し、中井綱家の菩提寺である旧万松寺跡もあるみたいだけど、もう時間が厳しいので撤退。ここの探索は次回に持ち越しだね。

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  あと、ついでに新宮党屋敷跡と城安寺にも寄ってきた。ここは以前も来たので、そんなに写真は撮ってない。この2カ所と山中鹿介屋敷跡には感想等が書けるノートがスタンプとともに置かれてるんだけど、城安寺は困ったことにボールペンが紛失してるんだよね。以前来た時もその状態で、今回もそうだった。この時はボールペンを持っていなかったから何もできなかったけど、今度来る時いらないボールペンを寄付しようかな。やっぱり尼子好きな方がどういう想いを抱えて来たのか知りたいもんね。見ると、色々な地域から人が来てて尼子ファンの層の厚さにこっちも嬉しくなっちゃう。

 

  そんなこんなで今回の旅は終了です。月山は今後も何度でも来たい場所だから、また来るだろうけどね。それまで暫しの別れだ!次回が楽しみ〜(*´꒳`*)